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江戸時代の尼「比丘尼」というお仕事 第2回~比丘尼の終焉~ | 歴史人
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江戸時代の尼「比丘尼」というお仕事 第2回~比丘尼の終焉~ | 歴史人
『宝永年間諸覚』の宝永三年(1706)の項に、 ・五月 江戸を徘徊する浮世比丘尼がしだいに衣装も派手に... 『宝永年間諸覚』の宝永三年(1706)の項に、 ・五月 江戸を徘徊する浮世比丘尼がしだいに衣装も派手になったので、近く禁止になるであろう。 ・六月 比丘尼の中宿が禁止になった。 という意味の記述がある。浮世比丘尼はセックスワーカーの比丘尼であろう。 中宿(なかやど)は比丘尼の仕事場所なので、中宿禁止は事実上の比丘尼禁止にひとしい。 図4は、「太夫比丘尼のてい」とある。 太夫は、吉原の最高の遊女の称号である。 その太夫の称号を、比丘尼が用いていたことになろう。 太夫と称する比丘尼が、供を従えて歩いているところである。まさに、吉原の太夫並みと言ってよい。 いや、公許の遊廓である吉原を、ないがしろにするものといえよう。 たしかに、こんな格好で町中を歩いていては目立つ。 『宝永年間諸覚』に、近く比丘尼が禁止になるであろうと記していたのは、まさに図3のような状況を、幕府の役人も苦々しく感じたからに違