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日本古代史ミステリー 「空白の四世紀」に何があったのか? | 歴史人
わが国の歴史には「空白の四世紀」とか「謎の四世紀」と呼ばれる、まったく記述のない時代がある。 しか... わが国の歴史には「空白の四世紀」とか「謎の四世紀」と呼ばれる、まったく記述のない時代がある。 しかしながらその空白の入口である弥生時代末期と出口の「倭の五王」の時代では、すべての面であまりにも違いが大きすぎる。この期間はなぜ空白で、いったい何があったのだろうか? ■卑弥呼から倭の五王までの時代は謎だらけ 奈良県桜井市にある「三輪明神(みわみょうじん)大神神社(おおみわじんじゃ)」の主祭神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の妻が「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)」で、箸墓に埋葬されたと伝わっている。 (撮影:柏木宏之) 突然のように出現した巨大な前方後円墳が大和(やまと)から広がりを見せる3世紀後半~5世紀初頭は、具体的な記録が無いので「空白の四世紀」といわれています。 中国の史書を参考にすると、『晋書 倭人伝(しんじょ わじんでん)』にある邪馬台国の新女王台与(と
2023/09/05 リンク