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【多賀一郎×苫野一徳】信頼を実現する学校に必要なものは何か、その② - ならずものになろう
昨日の続きです。苫野先生のセクションとお二人の対談のセクションの内容の紹介です。 www.s-locarno.co... 昨日の続きです。苫野先生のセクションとお二人の対談のセクションの内容の紹介です。 www.s-locarno.com ぜひ、『問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学』を読んでいただくと、内容がよく分かるかと思います。 実践なき哲学は空虚であり、哲学なき実践は迷走的である 今回の苫野先生のお話は、意識的に現場や実践の具体から離れて、抽象的で原理的なことを語っていました。講演のタイトルも「実践なき哲学は空虚であり、哲学なき実践は迷走的である」とカントを文字ったものですね。 そもそもの問題の本質を捉えることで、だれもが納得できる原理を示すものが哲学 哲学徒と学校の教師では思考がまったく逆という。 原理原則からものを考えるか、具体的な現場から考える思考か。どちらも協力しあって考えるべきことでないかという問題提起です。 現場と理論を二項対立で考えることが苫野先生の「問い方のマジック」ですから、お互い
2018/03/11 リンク