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明治に初のチベット入り 河口慧海、脱出の日記発見
明治時代に日本人として初めてヒマラヤ山脈を越えて鎖国状態のチベットに入り、主著「西蔵(チベット)... 明治時代に日本人として初めてヒマラヤ山脈を越えて鎖国状態のチベットに入り、主著「西蔵(チベット)旅行記」を残した堺出身の僧、河口慧海(えかい)(1866~1945年)が現地で記した明治35年の日記が見つかり、堺市が26日、発表した。33年、34年の日記に続く発見で、1回目のチベット滞在時の日記がそろった。困難を伴った脱出の様子が淡々と記されている。 日記は35年1月1日から8月17日までで、17ページ。和紙のような紙に、仏教学習や買い物などの日常が横書きで書かれている。 西蔵旅行記には脱出時の記載があり、日記よって裏付けられた。慧海は33年にチベット入りし、出自を隠してラサで仏教を学んでいたが、35年5月に日本人であることが発覚。スパイの疑いをかけられたため、同年7月3日にインド・ダージリンに逃れた。