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「洲本の阿波踊りって?」 淡路の「阿波踊り」の歴史知って…兵庫・洲本市立青雲中で講演会(1/2ページ)
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「洲本の阿波踊りって?」 淡路の「阿波踊り」の歴史知って…兵庫・洲本市立青雲中で講演会(1/2ページ)
兵庫県洲本市立青雲中学校(同市物部)で淡路島まつり振興協会が「洲本の阿波踊りって?」と題してふる... 兵庫県洲本市立青雲中学校(同市物部)で淡路島まつり振興協会が「洲本の阿波踊りって?」と題してふるさと学習講演会を開催した。夏の淡路島まつりで踊られる「阿波踊り」が淡路島で根付いている理由や祭りの歴史、島独自の踊りやお囃子などを1年生約170人に解説し、最後は生徒と一緒に体育館で踊り歩いた。 故郷の伝統芸能について理解を深め、受け継いでいくことで愛郷心を育てようと、同協会の山口雄治会長(62)と4つの「連」の25人が参加した。 山口会長によると、淡路島まつりは昭和23年ごろに「商工まつり」として始まったが、それ以前から辻々で踊りは踊られていたという。淡路島は明治3(1870)年の庚午事変までは徳島藩の領地だったため、現在も阿波踊りが広く浸透している。 踊りのスピードを変える「バンドマスター」がかねで、締太鼓が表のリズム、樽(たる)太鼓が裏のリズム、篠(しの)笛(ふえ)がメロディーを奏でている