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〈社説〉沖縄慰霊の日 なおも犠牲を強いるな|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト
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〈社説〉沖縄慰霊の日 なおも犠牲を強いるな|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト
ガマ(地下の洞窟)を追い出され、自宅の防空壕(ごう)も日本兵に占拠された。方言で返答した母親は、そ... ガマ(地下の洞窟)を追い出され、自宅の防空壕(ごう)も日本兵に占拠された。方言で返答した母親は、その場で斬り殺されたという。 沖縄戦下の1945年6月。当時19歳だった糸満市の前田ハルさんの証言だ(「沖縄戦を知る事典」吉浜忍ほか編)。 3月下旬からの沖縄戦は、日本軍司令部が沖縄本島南部へ撤退した5月末以降、とりわけ凄惨(せいさん)を極めた。逃げ惑う住民がひしめき、軍と混在した南部の各地で、米軍の激しい砲爆撃に加え、日本兵による残虐行為が相次いだ。 あす23日は、慰霊の日。日本軍の司令官が自ら命を絶ち、組織的な戦闘が終結した日である。 日本軍は、住民に軍と生死を共にすることを強い、敗勢が明らかになっても戦闘を続けた。住民を守るためだったのではない。本土での決戦を遅らせ、国家体制を守るための時間稼ぎとして、沖縄は「捨て石」にされた。 慰霊の日は、犠牲者を悼む日であるだけでなく、本土の私たちが、