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第二十七手「周南市の囲碁人口の推移①」|「碁」for it 小野慎吾
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第二十七手「周南市の囲碁人口の推移①」|「碁」for it 小野慎吾
私自身は、4歳の頃から囲碁を初めてから周南市で囲碁の練習を18歳までしました。今回は、その中で私が感... 私自身は、4歳の頃から囲碁を初めてから周南市で囲碁の練習を18歳までしました。今回は、その中で私が感じた周南市内での囲碁情勢、周りの諸先輩方からお聞きした事を含めてご紹介致します。 4歳に通い始めた頃は、旧徳山市時代で同市の教室に通っていました。その頃はPH通りに碁盤が彫られた休憩用の石ベンチが複数個設置されている状況でした。子ども時代に付近を歩いた際にそこで休憩をしながら囲碁をした記憶は今でも鮮明に覚えています。今考えるとそれは囲碁好きにとっては凄い事で、旧徳山市時代は囲碁愛好家が多くいた事を感じさせられます。 また、同時代には旧徳山夏祭り内でのイベントで、スクランブル交差点前の路上に碁盤を30面並べて沢山の囲碁愛好家が囲碁を打つというイベントを毎年していた記憶があります。その頃の囲碁熱は凄まじかった事が伺えます。 では続いては実際に、囲碁愛好家が毎日通う「碁会所」がどのように盛況だった