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<よみがえる明治のドレス・15>明治35年、大礼服で初の参内 上杉伯爵夫人兼子の喜び:東京新聞 TOKYO Web
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<よみがえる明治のドレス・15>明治35年、大礼服で初の参内 上杉伯爵夫人兼子の喜び:東京新聞 TOKYO Web
病気を口実に、新年拝賀の招待を断り続け、明治三十五(一九〇二)年になって初めて大礼服(マント・ド... 病気を口実に、新年拝賀の招待を断り続け、明治三十五(一九〇二)年になって初めて大礼服(マント・ド・クール)を着て参内した伯爵夫人がいた。上杉茂憲(もちのり)夫人の兼子で、当時の有名呉服店「白木屋」(現在の東急百貨店)に作らせた大礼服の費用は上杉家の衣料費の実に二・五年分。高額な宮廷ドレス調達に苦労の末、伯爵家としての面目をほどこす喜びの心情も垣間見える。 米沢藩歴代藩主ごとに編さんされた『上杉家御年譜<茂憲公>』によると、茂憲、兼子夫妻が新年拝賀のために皇居・宮殿に参内したのは明治三十五年元旦で、「奥様の新年御拝賀は本年を以て嚆矢(こうし)とす」とある。 この時に兼子が着用したドレスは、真珠色にピンクのバラの小花が刺しゅうされた大礼服で、ボディス(上衣)とスカート、トレイン(引き裾)、ケープ、ベルト、靴など大礼服関連の一式は上杉博物館(山形県米沢市)に所蔵されている。