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横田忠義さん死去 ミュンヘン五輪バレー金:東京新聞 TOKYO Web
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横田忠義さん死去 ミュンヘン五輪バレー金:東京新聞 TOKYO Web
バレーボール男子の日本代表でエーススパイカーとして、一九七二年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した... バレーボール男子の日本代表でエーススパイカーとして、一九七二年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した横田忠義(よこた・ただよし)さんが九日に死去した。七十五歳。香川県出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。 香川・多度津工高から中央大に入り、松下電器(現パナソニック)で活躍した。中大在学中に代表入り。主にレフトからの強打を得意とし、大古誠司さん、森田淳悟さんとともに長身のビッグスリーを形成した。六八年メキシコ五輪で銀メダル。三度目の七六年モントリオール五輪は四位だった。九四〜九五年に日本女子の監督を務めた。息子の一義さんは日本代表、堺でプレーした。