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推し活至上主義の行方|PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ|藤谷 千明|webちくま
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推し活至上主義の行方|PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ|藤谷 千明|webちくま
今から十五年以上前になる。オタク趣味を持つ同僚女性が「アニメイトに行くときは同類と見られたくない... 今から十五年以上前になる。オタク趣味を持つ同僚女性が「アニメイトに行くときは同類と見られたくないから、普段より服装に気を使っている」と話していた。その自意識過剰ぶりがすでにオタクのそれなのだが、当時はそういうオタク女性も多かったように記憶しているし、わかりやすい例をあげると、腐女子(ボーイズラブを愛好する女性)の恋人と著者の日常を描いたエッセイコミック『となりの801ちゃん』では、普段はかわいらしい女性として「擬態」しているが、いったん「腐女子」のスイッチが入ると荒ぶる緑色のモンスター化する……という存在として表現されていた。つまりオタク趣味は隠すもの、そうは見破られないように振る舞ってこそいっぱしのオタク女性という空気があり、オタクであることに今よりも「後ろめたさ」が大きかったというか。 その後、アイドルやゲームなど様々な「経済効果」を伴うブームを経て「オタク」の意味も広がり、脱臭されて