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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×速水健朗(1) 音楽がサブカルチャーの真ん中にあった時代「あのころどんな感じだった?」(1/2ページ)
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【ぼくらの90年代音楽論 30年前の「音楽」の「普通」】大谷能生×速水健朗(1) 音楽がサブカルチャーの真ん中にあった時代「あのころどんな感じだった?」(1/2ページ)
6月までこちらで、ニッポンの音楽教育の原点についての考察をおこなっていた大谷能生と申します。およそ... 6月までこちらで、ニッポンの音楽教育の原点についての考察をおこなっていた大谷能生と申します。およそ一年の連載で、おもに明治時代の、唱歌教育が始まるにあたってのアレコレを取り上げてみたわけですが、今度は気分を一新して、といってもまた微妙に過去の話なんですが、「1990年代」のニッポンの音楽シーンについて、ぼくと同世代の人たちがどのような体験をして、それをどのように記憶しているのか、についてを、対談形式で原稿にしてゆくことをはじめたいと思います。 わたくし大谷は1972年生まれの現在48歳。子年生まれの年男。90年代は18歳から28歳と、まさに音楽リスナーとしてはドンピシャ影響を受けた時代です。まあ、僕のことは置いておいて、90年代にそういう年頃だったいろんな同世代人に話を聞いて、30年前の「音楽」の「普通」について、あらためて確認できればいいなあと思っています。 第一回目のゲストは、ライター