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【波乱万丈 起業家列伝】「稲田屋本店」梅原俊治社長 300年以上続く蔵元の存続かけ目標まであと1店
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【波乱万丈 起業家列伝】「稲田屋本店」梅原俊治社長 300年以上続く蔵元の存続かけ目標まであと1店
日本酒が売れない時代、エンドユーザー獲得のため、東京で飲食店の経営に乗り出す地方の蔵元がいくつも... 日本酒が売れない時代、エンドユーザー獲得のため、東京で飲食店の経営に乗り出す地方の蔵元がいくつもある。成功例の1つが「酒処 稲田屋」だろう。稲田屋本店の梅原俊治社長(71)は、長兄が引き継いだ「稲田酒造」(鳥取県米子市)の酒を売るため、長年のサラリーマン生活と決別し、56歳で飲食業へ転身。現在、9店舗まで増えた稲田屋で蔵元の歴史とおもてなしの心を広めている。 1942年、鳥取県の山間の村で7人兄弟の5男坊として生まれる。早稲田大大学院修了後、50代半ばまで一貫してサラリーマン生活を送っていた。状況が一変したのはバブルの崩壊だった。梅原氏のもとに、12歳離れた長兄から相談が持ち込まれた。長兄は米子で稲田酒造の経営を引き受けていたものの、内情を知ると台所は火の車。思うように酒が売れず、「どうにかできないか」と頼ってきたのだ。 そこで、一緒に上京し、東京で食材商社を経営していた三男の兄とも共同で