エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【国防最前線】富士の麓で“魂”伝える「橘祭」 「軍神」橘周太中佐の遺訓をしのぶ集い
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【国防最前線】富士の麓で“魂”伝える「橘祭」 「軍神」橘周太中佐の遺訓をしのぶ集い
陸上自衛隊の夏の風物詩「富士総合火力演習」が行われた週末、夏休みということもあり、静岡県・御殿場... 陸上自衛隊の夏の風物詩「富士総合火力演習」が行われた週末、夏休みということもあり、静岡県・御殿場周辺は多くの人でごった返していた。 一方、演習の砲弾音が鳴り響くすぐ横の陸自・板妻駐屯地では厳かな式典が行われていた。日露戦争の大激戦、遼陽・首山堡攻略で前線に立ち、敵弾を受けながらも一歩もひるまず、大声で部下を励まし、壮絶な戦死を遂げた歩兵第34連隊大隊長、橘周太中佐の遺訓をしのぶ集い「橘祭(たちばなさい)」である。 海軍の広瀬武夫中佐とともに「軍神」と呼ばれた人物だ。板妻は現在も第34普通科連隊。地域の人々が望んだこともあり「34」というナンバーが引き継がれた稀有なケースとなっている。 橘中佐は1904年8月31日、遼陽で倒れるが、この日は自身が教育係を務めた皇太子殿下(大正天皇)の御誕生日だった。今際の際(きわ)、苦しい息の下でそのことに言及し、部下らの安否を気にかけていたと伝えられている