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【名将列伝】元PL学園・中村順司編(1) “監督不在”のまま1年半父母やOBから批判渦巻き
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【名将列伝】元PL学園・中村順司編(1) “監督不在”のまま1年半父母やOBから批判渦巻き
中村順司(67)がPL学園の監督の座を退いてから、はや16年が経った。その間、監督は河野有道(甲... 中村順司(67)がPL学園の監督の座を退いてから、はや16年が経った。その間、監督は河野有道(甲子園8勝)-藤原弘介(同4勝)-河野有道(同2勝)と代わったが、河野の2度目以降は“監督不在”という期間が1年半も続いている。 昨年2月、部員同士の暴力事件で6カ月間の対外試合禁止処分を受け、河野がその責任をとって退任。別の不祥事の報告遅れで部長も謹慎となった。処分明けの秋の大阪大会は野球経験のない校長の正井一真が「部長」登録でベンチ入り。準優勝して進出した近畿大会では「監督」登録した。 今春の大阪大会も同様で、とうとう今夏の大会までも、事実上の指揮官不在で臨まざるを得なかった。正井校長は采配は振るえない。中村が春夏連覇した1987(昭和62)年の中軸だった、深瀬猛らのコーチ陣が大まかな作戦を試合前に授け、試合中は選手同士でサインや選手交代を決めて戦って決勝まで進出したが、ここまでが限界。大阪桐