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【さらば革命的世代】第2部(1)機動隊員が見た許せぬ光景 バリケードの外から (1/5ページ) - MSN産経ニュース
炎上し煙を上げる時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4... 炎上し煙を上げる時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学 ノーサイド 行く手を阻んだのは、机やロッカーを積み上げたバリケードだけではなかった。狭い階段は炎と黒煙に包まれ、頭上からは学生たちが放り投げる火炎瓶や頭大の石、さらにはガソリンや塩酸までが降ってきた。 昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学。1月の東大安田講堂攻防戦から約9カ月。各地に広がった全共闘と呼ばれる学生たちの反乱はとどまるところを知らず、この日朝、全国の公立大で唯一「紛争重症校」と呼ばれた市大当局からも、大阪府警本部に機動隊の突入が要請された。 「あいつらと僕らはほとんど同じ世代。こちら側にすれば、親のすねをかじって好き放題しやがってという思いは、確かにあった」。この日、最前線でバリケードに突入した元府警機動隊員の宮崎二郎さん(66)=仮名=は
2008/08/30 リンク