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「労使関係論」とは何だったのか(10) - shinichiroinaba's blog
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「労使関係論」とは何だったのか(10) - shinichiroinaba's blog
身も蓋もなく言えば日本の労使関係論、ことに「東大学派」(ならびにその周辺の)労働問題研究の失敗と... 身も蓋もなく言えば日本の労使関係論、ことに「東大学派」(ならびにその周辺の)労働問題研究の失敗とは、市原博も言うとおり、あまり深く考えることなく日本労使(労資)関係研究の究極のテーマを「日本資本主義分析」とし、そして日本資本主義の中軸ないし先端部分を重工業大経営としてしまった、というところによるところが大きい。 東大学派の場合は宇野学派の影響が濃厚であり、それもあって日本資本主義、ひいては日本労使(労資)関係の特徴を「封建遺制」として理解することを拒む強い傾向がある時期以降目立つが、無論講座派的な問題意識も皆無ではなく、「封建遺制」的発想による議論もなくはない。たとえば氏原以降の世代によって乗り越えられようとした大河内一男の「出稼型労働力」論はまさしく「賃労働における封建制」論であったし、隅谷三喜男の都市雑業層をめぐる議論もその延長線上にあった。しかしながら講座派的な、日本資本主義分析にお