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●釣り鐘 昭和17年12月7日の写真です。 戦争に突入して鉱物資源の不足していた我が国では、家庭用品... ●釣り鐘 昭和17年12月7日の写真です。 戦争に突入して鉱物資源の不足していた我が国では、家庭用品から佛具にいたるまでの、あらゆる金属を応召と言う名のもとに徴発しました。 当時の日本男子は、一旦応召されれば、赤い襷を肩に掛け、故郷を後にして入営して行きました。 この日、応召された「釣り鐘」は、兵隊とよく似た臙脂(エンジ)色の襷を支給され、それを竜頭に巻いて出征して行きました。 当時の事を思い出すと、エンジ色の襷が脳裏に残ります。 ●内陣の写真 応召されたのは、梵鐘(釣り鐘の別名)ばかりではありません。内陣の佛具や半鐘も、エンジの襷を巻いて召されて行きました。 寺役員が揃っての送別写真です。(中川藤九郎、苗村寅吉、中川乙松、今西栄吉、苗村安藏、各氏の顔が見えます) 不思議なことに、中央に写っている半鐘は、応召後、各地を四十年間流転の末、回り回って元の福泉寺に復員してきました。 ただ今は休養