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文系哲学の限界 | ブログ運営のためのブログ運営
かつてカント(1724年生まれ)が現象と物自体を対比し、物自体は不可知と定義したのは、形而上学の... かつてカント(1724年生まれ)が現象と物自体を対比し、物自体は不可知と定義したのは、形而上学の限界として正しい線を引いたのである。では物自体がわからないのかというと、そうでもあるまい。科学的に分析すればいいのである。人類は19世紀半ばまで細菌の存在すら知らなかった。カントは数学や物理は得意だったが、18世紀の人間なので、この当時の科学レベルだと、物自体はわからないと言うしかなかったのである。 哲学は理数系の人間が趣味としてやるのにふさわしい。専門化が進む社会で、複数のことは専門に出来ないが、片手間に有名な哲学書を読むだけで充分だろう。 ニーチェが数学を不得手にしていることは学生時代の成績から判明している。ニーチェは形而上学という豪奢な大伽藍を建設することはせず、人間の五感に現象する世界の事実性にこだわった。五感の体験はそれ自体が人間的リアリティーなのである。そして天才的な洞察力を発揮する
2014/06/23 リンク