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中華街、どこが国内初? 横浜・神戸じゃなかった:朝日新聞デジタル
中華街と言えば、横浜、神戸、長崎が有名だ。だが、日本で初めて中華街ができたのは福岡市の博多地区だ... 中華街と言えば、横浜、神戸、長崎が有名だ。だが、日本で初めて中華街ができたのは福岡市の博多地区だと聞いた。アジア各国から観光客が訪れる博多の街に中華街は見当たらないが……。 福岡市博物館に行くと、「確かに日本で最初とみられるチャイナタウンがありました」と学芸課の本田浩二郎さんが教えてくれた。11世紀後半から13世紀ごろのことで、各地に居住区はあったが、中国人商人が集住して街になっていたのは博多だけだったようだ。 背景には、大陸との交易窓口だった鴻臚館(こうろかん)での貿易が11世紀半ばに衰退し、博多が中国の王朝・宋との日宋貿易の拠点になったことがある。当時の博多は海に面した砂丘(博多浜)で、宋の貿易商が往来した。宋から宋銭や陶磁器、香薬などを輸入する一方、金や硫黄、木材などを輸出した。 福岡市埋蔵文化財センターの大…
2016/10/02 リンク