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(平成とは プロローグ:2)ひばりの死、世紀の死 日田支局長・近藤康太郎:朝日新聞デジタル
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(平成とは プロローグ:2)ひばりの死、世紀の死 日田支局長・近藤康太郎:朝日新聞デジタル
「そのことおれに聞きに来たやつ、初めてだよ」 篠崎弘(65)は、苦く笑って遠くを見た。元朝日新聞記... 「そのことおれに聞きに来たやつ、初めてだよ」 篠崎弘(65)は、苦く笑って遠くを見た。元朝日新聞記者。長く学芸部でポピュラー音楽を担当し、音楽評論家として有名な先輩。 大きな傷も、持つ。 1989(平成元)年6月24日未明。美空ひばりが亡くなったという情報が業界内を駆け巡った。昭和歌謡界の女王。その朝、毎日、読売新聞などは1面トップで報じた。しかし、朝日新聞には1行も記述がない。いわゆる「特オチ」。そのときのポピュラー音楽担当が、篠崎だった。 無礼な質問に、篠崎は、特に嫌がるふうでもなく、話し始めた。 ……当時のことは、じつはよく覚えていない。無意識に、忘れようとしていたのかもしれない。ひばりさんが入院していたのは知っていたし、万一の原稿も準備していた。亡くなったと情報を聞きつけたが、家族や事務所からの確証がどうしても取れない。朝刊締め切りを過ぎ、寝ないで東京・目黒の「ひばり御殿」に駆けつ