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asahi.com(朝日新聞社):京都御所に防空壕あった 11カ所、宮内庁が工事録開示 - 社会
現存していた油の地下保管庫=京都御苑、森井英二郎撮影京都御所内の防空壕の位置を丸印で示した図面=... 現存していた油の地下保管庫=京都御苑、森井英二郎撮影京都御所内の防空壕の位置を丸印で示した図面=宮内庁書陵部所蔵 太平洋戦争開戦直後の1941(昭和16)年末から42年初めにかけて、京都御所(京都市上京区)内に11カ所の防空壕(ぼうくうごう)が造られていたことが、朝日新聞社が宮内庁に公開請求した保存文書でわかった。隣接の大宮御所や京都御苑を含めると計18カ所に及び、職員ら関係者や皇室財産を守るため、内部に防毒幕を張るなどした堅固な構造だった。本土空襲が始まる前から、御所周辺に大規模な防空壕群が完成していたことになる。 防空壕の存在は宮内庁京都事務所の職員の間で言い伝えられていたが、実際の設置場所や構造を記した文書はこれまで公表されていなかった。 開示された文書は、戦時中に宮内省(当時)が作成した「工事録 内匠(たくみ)寮(りょう)」。この中の「京都御所其他防空壕構築工事仕様書」に
2009/07/22 リンク