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会津東宝 (港町キネマ通り)
四方を険しい山々に囲まれ、寒暖差が激しく厳しい気候の中で育まれた独自の文化を持つ福島県西部に位置... 四方を険しい山々に囲まれ、寒暖差が激しく厳しい気候の中で育まれた独自の文化を持つ福島県西部に位置する会津若松市。城下町として栄えたこの街にある歴史ある建造物は現代もなお人々の日常に溶け込んでいる。会津若松駅と七日町駅から歩くこと各々20分足らず、昭和35年に設立された『会津東宝』はメインストリートとなる神明通りから横道にそれた閑静な一画に佇んでいる。劇場が立つ七日町には野口英世にゆかりの深い通りや会津若松の基礎を築いた蒲生氏郷の墓所がある歴史と文化に彩られたエリアだ。 「元々“栄楽座”で支配人だった親父が会津若松市内に東宝の直営館が無かった事から、東宝の看板を掲げて始めよう…というのがキッカケで立ち上げました」と語ってくれたのは現在、代表を務める吉川裕一氏。設立当初は250席近くあった単独館だったが、映画が下火になってきた昭和54年に映画館のスペースを半分にして“あいづ東宝ビル”という10