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赤坂城と千早城の戦3.怒涛!激闘!千早城の戦!! - 歴史チップス
元弘二年(1332)十一月、正成は河内金剛山の千早城(千早赤阪村)で再挙した。 同月、後醍醐天皇の皇子の一... 元弘二年(1332)十一月、正成は河内金剛山の千早城(千早赤阪村)で再挙した。 同月、後醍醐天皇の皇子の一人・護良親王も大和吉野山(奈良県吉野町)で挙兵している(「選択味」参照)。 十二月、正成は先に落城した赤坂城を奪還、翌元弘三年(1333)一月、六波羅勢と摂津天王寺(てんのうじ。大阪市天王寺区)などで交戦、これを追い散らした後、深追いせずに金剛山に引き上げた。 「勝てそうなところ、勝てそうなところに奇襲攻撃を加えれば、勝てるのだ」 「負けそうになったときは、負ける前に逃げてしまえば勝ちなのだ」 正成の活躍に、全国の「隠れ後醍醐ファン」はひそかに喜んだ。 「正成が生きていたそうな」 「各地で神出鬼没に兵を繰り出し、六波羅勢を右往左往させているそうな」 「大塔宮(おおとうのみや・だいとうのみや。護良親王)も各地に令旨(りょうじ)をバンバン飛ばして奮戦しているそうな」 中には感心しているだけ
2013/12/21 リンク