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稲畑勝太郎と京都産業の発展vol.1
明治初期、西欧から先進的な技術や知識を導入し、京都の産業や文化の発展に力を注いだ先駆者の一人が稲... 明治初期、西欧から先進的な技術や知識を導入し、京都の産業や文化の発展に力を注いだ先駆者の一人が稲畑勝太郎(1862〜1949)です。当時の京都は明治維新の混乱から未だ立ち直ってはおらず、経済・産業は衰退の途にありました。そこで京都府は、殖産興業に力を注ぎ、京都の近代化のためには、織物業をはじめとする諸産業の育成に必要な知識と技術を習得させるために、外国への留学生派遣にも取り組んでいました。 京の由緒ある和菓子屋に生まれた勝太郎は、もともと負けん気が強く、勉強熱心だったことから、京都府師範学校(現京都教育大学)に入学。指導にあたっていたフランス人教師、レオン・ジュリーにその才能を見出され、京都府からも勧業生として選ばれ、わずか15歳で、当時の最先端染色技術を学ぶためにフランスに留学しました。 勝太郎がフランスに滞在した期間は約8年。その間、リヨン工業学校やリヨン大学で染色理論や応用化学を