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パーソンとペルソナ:パーソン論再考
『人間科学:大阪府立大学紀要』5 2010年3月 91~121頁 パーソンとペルソナ パーソン論再... 『人間科学:大阪府立大学紀要』5 2010年3月 91~121頁 パーソンとペルソナ パーソン論再考 森岡正博 *印刷バージョンと同一のものをPDFでダウンロードできます。引用するときにはかならずPDF版をご参照ください。 → PDFダウンロード 1 はじめに 私はこれまでに何度か「パーソン論」についての批判的検討を行なってきた。最初にパーソン論の言説に触れたのは、マイケル・トゥーリーの1972年論文「中絶と新生児殺し」(Abortion and Infanticide 邦訳:嬰児は人格を持つか [1] )を翻訳したときであった。その後、『生命学への招待』(1988年)の第9章において、トゥーリーの「パーソン論」を批判し、生存する権利がない存在者をなぜ殺してよいことになるのかと疑問を呈した。さらに『生命学に何ができるか』(2001年)の第2章において、ピーター・シンガーとトリストラム・エン