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西嶋 一泰「歴史は誰がなぜどう描くか?―国民的歴史学運動と生活記録運動に即して-」
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特別公開企画 アフター・メタヒストリー ―ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義― 研究報告2 ... 特別公開企画 アフター・メタヒストリー ―ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義― 研究報告2 西嶋 一泰(立命館大学大学院先端総合学術研究科) 「歴史は誰がなぜどう描くか?―国民的歴史学運動と生活記録運動に即して-」 English Page ◆はじめに 私は一九五〇年代の日本でおきた、ある歴史学的、物語的、ムーブメントについて述べたいと思います。私はこのムーブメントが、伝統的歴史学や科学的歴史学に対抗するものであり、現在においてもう一度検討されるべきものだと考えています。このムーブメントには、ホワイト教授がこの後の講演で話されるポストモダン的な歴史の試みとも共通する部分があります。しかしホワイト教授が論じるものとは別の可能性がみえてきます。ホワイト教授は、歴史について、その前表現的段階つまり詩学やプロットを見出し、分析することで、非常に重要な仕事をされてこられました。ですが、私が