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玉電の歴史~開通から玉川線廃止まで~
■玉電の生い立ち 世田谷に初めて鉄道が通ったのは、今から一世紀も昔、明治40年のことでした。大山街道... ■玉電の生い立ち 世田谷に初めて鉄道が通ったのは、今から一世紀も昔、明治40年のことでした。大山街道(国道246号線)上を、玉川電気鉄道の手によって、電車が通りました。当初開通したのは、道玄坂上~三軒茶屋間だけでしたが、同年中には渋谷から玉川(現:二子玉川)までの全線が開通し、大山街道を往来する旅人や沿線住民の足としての役割とともに、多摩川で採取された砂利を都心に運ぶ目的も果たしました。それまで鉄道が走っていなかった世田谷は、玉電の開通によって、ようやく文明開化を迎え、玉電の手によって電気が引かれ、沿線の発展に大きく貢献しました。また、玉川は行楽地として注目され、明治42年には玉川遊園地(のちの二子玉川園)が玉電の手によって開設され、乗客の誘致活動も積極的に行われました。 大正9年、都心でのコンクリート需要の増加に伴い、輸送力増強と都心への乗り入れが必要となり、全線の複線化(完成は大正12