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東京新聞:戦跡を歩く(5)旧陸軍武器庫の赤レンガ(市川市国府台) 軍都・市川の生き証人:千葉(TOKYO Web)
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東京新聞:戦跡を歩く(5)旧陸軍武器庫の赤レンガ(市川市国府台) 軍都・市川の生き証人:千葉(TOKYO Web)
都県境を流れる江戸川河岸に面した市川市国府台の緑濃い台地に、赤レンガ建築物が静かに立つ。明治初期... 都県境を流れる江戸川河岸に面した市川市国府台の緑濃い台地に、赤レンガ建築物が静かに立つ。明治初期に建てられた二階建てで、幅約二十メートル、奥行き約八メートルの建物はそれほど大きくない。旧県血清研究所の跡地にあり、敷地は現在は閉鎖されているため、存在を知る市民も少ない。 「ここから多くの兵士が戦場へと駆り出された。赤レンガは、その悲惨な運命を見つめ続けてきた」。建物の保存・再生と活用を考える市民グループ「赤レンガをいかす会」代表の吉原広さん(64)が教えてくれた。市川市もかつて「軍都」と呼ばれた時期があり、旧陸軍の砲兵連隊などが駐屯した。赤レンガは武器庫として使われていた。 「いかす会」メンバーでもあり、軍事史研究家で元八戸工業大教授の高野邦夫さん(75)によると、軍の駐屯は一八八五(明治十八)年、当時全国唯一の下士官養成学校だった「教導団」が、この地に置かれたのにさかのぼる。赤レンガはこの