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第56回 プロイセンからドイツ帝国へ
56回 プロイセンからドイツ帝国へ ○ウィーン会議後のドイツ イタリアと並んで、紆余曲折を経て成立し... 56回 プロイセンからドイツ帝国へ ○ウィーン会議後のドイツ イタリアと並んで、紆余曲折を経て成立したドイツ。 それでもイタリアと違って、ドイツ人という区分は古来より漠然とした形であったようですが、だからといって長い間、正式に「ドイツ」という国家が誕生することはありませんでした。強いてあげれば、神聖ローマ帝国でしょうか。そんなドイツが誕生するキッカケの1つになったのがナポレオンによる神聖ローマ帝国崩壊と、プロイセン王国の大幅弱体化。 このうち、プロイセンではシュタインとハイデンベルクが徹底した国政改革を行い国力を回復・増強、さらにフォヒテという人物が「ドイツ国民に告ぐ」という講演を行い、さらにナポレオンを打倒したことから、ドイツとしてのナショナリズムが高まります。そして、ナポレオン戦争後のウィーン会議でドイツ地域にある35の君主国と、4自由市からなるドイツ連邦が成立するのです。 このドイツ