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三種類の同一化(コレット・ソレール)
以下、資料。 同一化の場合は、対象は失われているか、放棄されてしまっている。そのとき対象は自我の中... 以下、資料。 同一化の場合は、対象は失われているか、放棄されてしまっている。そのとき対象は自我の中で再建され、自我は失われた対象の手本にしたがって、部分的に変化する。ほれこみの場合には、対象は保たれており、そのまま自我によって、自我を犠牲にして過大評価(過剰備給)される。しかしこれについても疑念がある。同一視が対象備給の放棄を前提とするのは、いったい確実なことなのだろうか、保持された対象にたいする同一化はありえないのだろうか、この微妙な問題の論議に入る前に、われわれには、すでに次のような洞察がほのぼのと開けてくる。つまり、他の二者択一、すなわち、対象は自我のかわりになるのか、それとも自我理想のかわりになるのか、という問題がこの事態の本質をふくんでいるという洞察である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集 6 P229) 想像的同一化とは、われわれが自分たちにとって好ましいよう