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トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く レビュー 蔡駿:【謀殺似水年華】
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トリフィドの日が来ても二人だけは読み抜く レビュー 蔡駿:【謀殺似水年華】
中国で最も売れているサスペンス小説家蔡駿が最新作【謀殺似水年華】で社会派サスペンスの分野に挑んだ... 中国で最も売れているサスペンス小説家蔡駿が最新作【謀殺似水年華】で社会派サスペンスの分野に挑んだ。『中国社会派懸疑小説開山大作!』(中国社会派サスペンス小説の先駆け的作品!)と帯に書かれた本作で、人気若手作家蔡駿は現代中国の何を描き出したのだろうか。 物語は2人の男女を中心に過去と現在を行き来する。 1995年、テレビで『101回目のプロポーズ』が放映されていた頃、上海の街中で小さな売店を営んでいた女性が何者かに絞殺された。現場に残されていた凶器は売店の女主人には似つかわしくないほどの高級なマフラー。そして事件の唯一の目撃者は13歳になる被害者の一人息子秋収だけ。 刑事田躍進は農村から出てきたばかりで身寄りを失った秋収を不憫に思い、数日の間家に連れて帰る。田の一人娘の小麦が秋収と同い年だから仲良くなってくれると信じていたからだ。 しかし少年も少女も一つ屋根の下にいながらお互いに無関心だった