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木村義雄と、羽生善治。古今の両名人のエピソードです。 羽生善治王位に木村一基八段が挑戦する王位戦七... 木村義雄と、羽生善治。古今の両名人のエピソードです。 羽生善治王位に木村一基八段が挑戦する王位戦七番勝負は、羽生王位2勝、木村八段3勝で、第6局を迎えている。木村勝ちであれば、悲願の初タイトル奪取。ネット中継で、あるいは対局場の鶴巻温泉「元湯 陣屋」の大盤解説で、多くのファンが対局のゆくえを見守ることになるだろう。 そんな最新のトピックで、見る将棋ファンが熱くなっているかたわらで、本稿では昔の話をしたい。 棋士で木村といえば、現在は木村一基八段のことだが、昭和の前半は、木村義雄名人のことだった。 木村義雄(以下、木村)は、1912年、東京の本所(現在の墨田区)に生まれた。生粋の、江戸っ子である。現在、その生誕の地には、案内板が立てられている。 木村は下町の庶民の家庭の出身だった。その暮らしは、裕福というには、ほど遠い。他の大名人と同様、木村もまた幼少時に将棋を覚え、すぐに強くなっ
2016/09/16 リンク