大阪市西成区釜ヶ崎(現在の呼称は「あいりん」)。日雇い労働者たちが、簡易宿泊所に寝泊まりしたり野宿したりしながら、わずかな仕事の口を求めて集まる街。路上で寝ている人、車座になって朝から酒を飲んでいる人─という光景は、今も昔も変わらない。近年は行政やNPOが労働者たちの相談に乗るべく活動しているが、30年前、この街でそんなことをする人は数えるほどだった。 入佐明美(いりさ・あけみ) 1955年生まれ。看護専門学校卒業後、病院勤務を経て、80年より釜ヶ崎でケースワーカーを務める。著書に『地下足袋の詩』(東方出版)。 写真:田渕睦深 入佐明美は、1980年に看護師として勤めた病院を辞めて釜ヶ崎に入った。24歳の女性がケースワーカーの草分けとなり、800メートル四方の街にいる2万~3万人の労働者たちに、毎日声をかけて回った。入佐は今日も、自らの貯金と時折の講演謝礼と個人からの寄付を原資にして、事務