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ブックマーク / www.msz.co.jp (79)

  • シェイクスピアにおける異人:みすず書房

    「私はこの研究をわがままな行為ではなく、むしろ自己鍛錬の行為と考えている。なぜならシェイクスピアと向かい合う者は誰でも初めは鉄面皮で、最後に謙遜し、恐れさえ抱くようになるからだ……まるで人間の世界はシェイクスピアが作ったもので、人間が自分のことを皮膚に包まれた存在と考える以上に面白いものだとわかるのだから、私は〈われわれのシェイクスピア〉についてでなく、〈シェイクスピアのわれわれ〉について書こうと試みた」(はしがき)。 著者はすでに『アメリカ小説における愛と死』において古典的な評価を得ている尖鋭な批評家=学者である。体制派から〈恐るべき子供〉と評された著者が25年の歳月をかけて完成したのが書、『シェイクスピアにおける異人』である。劇作品と『ソネット集』に関する精妙な分析によって、著者はシェイクスピアにおける異人の四つの元型——女性・黒人・新世界の先住民・ユダヤ人——を確定し、その隠された

    シェイクスピアにおける異人:みすず書房
  • なぜ科学を語ってすれ違うのか | ソーカル事件を超えて | みすず書房

    ソーカル事件以降、わたしたちはどこに行き着いたのだろう。漠然と「客観的」「科学的」なるものが何でも信奉されるなか、科学の哲学や社会学は空論のごとくみなされ、科学者は価値とのかかわりに二の足を踏み、その隙にもニセ科学が跋扈する……そんな着地のしかたでよいのだろうか? 書は、科学の客観性・合理性・特権をめぐってすれ違う見解について、双方に深刻な錯覚があり、そのためどちらも現代社会の問題に対応できないと説く。たまねぎの皮を剥くように、すれ違う表層の議論を一層ずつ剥ぎ取りながら、著者は今日的な科学観を探っていく。科学の合理性と客観性にあらためて信を置きつつ、論争必至の問題提起に及ぶ、刺激的な科学論入門。 「強く推奨したい。科学をめぐる論争のなかで哲学的・政治的に焦点となっている問題について生き生きと説き、夢中で読ませる。……科学者、社会学者、そして著者と同じ科学哲学者──誰もが批判を免れない(そ

    なぜ科学を語ってすれ違うのか | ソーカル事件を超えて | みすず書房
  • エティエンヌ・ジルソン | みすず書房

    1884-1978。現代フランスのもっとも卓越した哲学者であり、とくに中世哲学思想研究では世界的権威として知られている。パリに生まれ、ソルボンヌの哲学史教授。コレジュ・ド・フランスの中世哲学史教授を経て、その後長年、カナダのトロント中世研究所の所長を勤める。その間、アメリカ、イギリスの諸大学へ招かれて講義をおこない、それをもとに数々の名著を生み出した。『デカルト体系の形成における中世思想の役割』(Etudes sur le role de la pensee medievale dans la formation du systeme cartesien,1930)をはじめとするデカルト研究において中世思想と近代思想の対話をこころみた。また、『中世哲学史』(La philosophie au moyen age,1922, 改訂版 1925)、『中世哲学の精神』(L’esprit de l

  • ロジェ・シャルチエ | みすず書房

    1945年リヨンに生まれる。サン=クルー高等師範学校出身。ルイ・ル・グラン高等学校教諭。パリ第一大学助手、社会科学高等研究院助教授を経て、現在は社会科学高等研究院の研究指導教授をつとめるかたわら、同研究院歴史学研究センターの所長として精力的に活動中。また、プリンストン大学、カリフォルニア大学バークレー校、エール大学、コーネル大学などの客員教授・客員研究員を歴任している。印刷物の浸透がいかにして人々の社会的結合のあり方を変え、新しい思考様式を生み出し、権力や宗教との関係を変容させたか、をテーマとし、書物を読むというプラチックをとおして人々がテクストをみずからのものとする《アプロプリアシオン》の様相を射程に入れた、新しい文化史を構想する。著書Figures de la gueuserie (Montalba,1982)、Lectures et lecteurs dans la France d

  • カチンの森【新装版】 | ポーランド指導階級の抹殺 | みすず書房

    1939年8月の独ソ不可侵条約、それにもとづく両国の相次ぐポーランド侵攻、こうして第二次大戦ははじまった。 1940年春、ソ連西部、スモレンスク郊外のカチンの森で、ソ連秘密警察は約4,400人のポーランド人捕虜将校を銃殺した。犠牲者数は、同時期に他の収容所などで殺されたポーランド人と合わせて22,000人以上。職業軍人だけでなく、医師、大学教授、裁判官、新聞記者、司祭、小中学校教師など、国をリードする階層全体におよんだ。 しかしソ連は、犯人はドイツであると主張。さらに連合国もすべてソ連の隠蔽工作に加担し、冷戦下も沈黙を守りつづけた。ソ連が事実を認めたのは1990年、ゴルバチョフの時代。92年になるとスターリンの署名した銃殺命令書も閲覧可能になる。 スターリンが、ポーランドという国自体を地図から抹消しようとした理由は何か。なぜゴルバチョフは、もっとも重要な文書の公開に踏み切れなかったのか。著

    カチンの森【新装版】 | ポーランド指導階級の抹殺 | みすず書房
  • 西欧精神医学背景史:みすず書房

    florentine
    florentine 2010/08/01
    有村氏ブクマから/関連本にエチェンヌ・ジルソンの名前あり。これは期待大!/ルネサンス期に限ればヴィント、ウォーカー他多数/「十六世紀文化革命」も再読/ロンブローゾあたりも調べないとなあ。ふう。
  • J・バーンズ『文士厨房に入る』 | トピックス : みすず書房

    堤けいこ訳 [19日刊] 書の著者ジュリアン・バーンズの名を日の読者が知ったのは、『フロベールの鸚鵡』の翻訳が白水社から出た1989年のことである。退職したイギリス人医師がフロベール論を書こうとする物語でありながら、その論文の中身(になるかもしれないもの)やら年譜やらがちりばめられた作品は、原著刊行から5年後にわたしたちの目に触れたとき、ちょうど「ポストモダン」に似合って、めっぽう面白かった。デビューが遅かった作家の前身がレキシコグラファー(オクスフォード英語辞典の編集者)というのも、さもありなんと思わせた。 戦後生まれの団塊世代として当然のように、少年バーンズは台所に立つことなく大人になる。大学進学でロンドンに出て一人暮らしを始めても、料理といえないい物をこしらえていた。それが、30代からクッキングに目覚めて、メインの肉と野菜、それからプディング(デザートのこと)と奇妙なスープまで

    florentine
    florentine 2010/05/15
    堂々の料理タグw/鸚鵡は未読(とってある)だけど『101/2章で書かれた世界の歴史』は凄まじく面白くて最高!/↓お知らせありがとう! わたし、「オム(男)・ド・レトル」じゃないから知らんがなw 絶滅してる?
  • スーザン・ソンタグ | みすず書房

    1933-2004。アメリカの作家・批評家。長篇小説にはThe Benefactor, 『死の装具』(早川書房)『火山に恋して』(みすず書房)、In Americaがある。また、短篇集や戯曲、『写真論』(晶文社)『隠喩としての病い/エイズとその隠喩』『土星の徴しの下に』『他者の苦痛へのまなざし』『書くこと、ロラン・バルトについて』『サラエボで、ゴドーを待ちながら』(以上みすず書房)などのエッセイがある。さらに四つの長篇映画の脚執筆と監督をし、アメリカとヨーロッパにおいて劇の演出も手がけた。その中には、包囲されたサラエボで上演されたベケットの『ゴドーを待ちながら』の演出も含まれる。2001年に「イェルサレム賞」を受賞。

  • アラブ、祈りとしての文学:みすず書房

    もしもパレスチナの難民キャンプで傷付いた子どもの傍らにいたなら、私たちはその手をとるだろう。ベツレヘムの街で自爆に赴く青年が目の前にいたら、彼の行く手を遮るだろう。だが私たちはそこにいない。 小説を書き、読むという営みは理不尽な現実を直接変えることはない。小説は無能なのか。悲惨な世界を前に文学は何ができるのか。古くて新しい問いが浮上する。 ガザ、ハイファ、ベイルート、コンスタンティーヌ、フェズ……、様々な土地の苛烈な生を私たちに伝える現代のアラブ文学は多様な貌をもつ。しかし各作品に通奏低音のように響く、ひとつの祈念がある。 「「かつて、そこで」起きた、もはやとりかえしのつかない、痛みに満ちた出来事の記憶。もう帰ってはこない人々。[…]作家は、頭蓋骨に穿たれた二つの眼窩に湛えられた深い闇からこの世界を幻視し、彼岸と此岸のあわいで、起こらなかったけれども、もしかしたら起こりえたかもしれない未来

  • E・R・クルツィウス | みすず書房

    1886-1956。ドイツの文学・文明批評家にして、ロマン語文学研究の権威。エルザスに生れる。シュトラースブルク、ベルリン、ハイデルべルクに学んだ後、マールブルク、ハイデルべルク、ボンなどの大学において教鞭をとる。著書に『現代フランスの文学開拓者』(1919)『バルザック論』(1923、邦訳みすず書房、1990)『現代ヨーロッパにおけるフランス精神』(1925、邦訳みすず書房、1980)『フランス文化論』(1930、邦訳みすず書房、1976)『危機に立つドイツ精神』(1932、邦訳みすず書房、1988)『ヨーロッパ文学とラテン中世』(1948、邦訳みすず書房、1971)『読書日記』(1960、邦訳みすず書房、1973)『文学と旅』(1988、邦訳みすず書房、1991)など多数。

    florentine
    florentine 2010/03/31
    『ヨーロッパ文学とラテン中世』は本当に素晴しい本です。「今世紀に書かれたおそらく最も重要な書物であり、今後、ヨーロッパ文学または文化を語るとき、つねに念頭におかるべき書物である。」
  • 抵抗への招待 | みすず書房

    ——「抵抗への招待」、それはつねに他者からやって来る。誰もその発信者にはなれないがゆえに。誰もその宛先から排除されることはない。(あとがきより) 著者はジャン・ジュネ『恋する虜』の翻訳者、そしてジャック・デリダの翻訳者である。しかし、それにもまして、今日を生きる思考者である。四年半のパリ留学を終えて日に戻ったのは1989年2月、昭和天皇裕仁の死とその葬儀の間の時期だった。以来8年間、パレスチナの映画作家ミシェル・クレイフィとの出会いと〈豊穣な記憶〉委員会の活動、湾岸戦争批判、ホロコーストの記憶映画『ショアー』の戦後50年日における上映、〈国際作家議会〉への参加など、時々に著者の類い希な理路と熱意は人を動かしてきた。原則をゆるがせにせず、みずみずしい感覚で現代世界を論じる文章の全体を初めて集成する書は1990年代クロニクルにもなっている。 I 〈ユートピア〉としてのパレスチナ——ジャン

    抵抗への招待 | みすず書房
  • 鵜飼哲 | みすず書房

    1955年東京都に生まれる。フランス文学・思想専攻。1982年京都大学大学院文学研究科修士課程修了。1984年から88年までパリ第8大学に留学。一橋大学大学院言語社会研究科教授を経て、同大学名誉教授。著書に、『抵抗への招待』(みすず書房、1997)『償いのアルケオロジー』(河出書房新社、1997)『応答する力:来るべき言葉たちへ』(青土社、2003)『主権のかなたで』(岩波書店、2008)『ジャッキー・デリダの墓』(みすず書房、2014)『テロルはどこから到来したか:その政治的主体と思想』『まつろわぬ者たちの祭り:日型祝賀資主義批判』(インパクト出版会、2020)『いくつもの砂漠、いくつもの夜:災厄の時代の喪と批評』(みすず書房、2023)。訳書に、ジュネ『恋する虜:パレスチナへの旅』(共訳、人文書院、1994)『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(現代企画室、1999)『シャティ

  • 他者の苦痛へのまなざし | みすず書房

    現代社会における際だった特徴は、世界中で起こっている悲惨事を目にする機会が無数に存在するということである。戦争やテロなど、残虐な行為を撮った映像はテレビやコンピューターの画面を通して日常茶飯事となった。しかし、それらを見る人々の現実認識はそうしたイメージの連続によってよい方向へ、例えば、戦争反対の方向へと変化するだろうか? 書は、戦争の現実を歪曲するメディアや紛争を表面的にしか判断しない専門家への鋭い批判であると同時に、現代における写真=映像の有効性を真摯に追究した最新の〈写真論〉でもある。自らの戦場体験を踏まえながら論を進めるなかで、ソンタグは、ゴヤの「戦争の惨禍」からヴァージニア・ウルフ、クリミア戦争からナチの強制収容所やイスラエルとパレスチナ、そして2001年9月11日のテロまでを呼び出し、写真のもつ価値と限界を検証してゆく。さらに書は戦争やテロと人間の質、同情の意味と限界、さ

    他者の苦痛へのまなざし | みすず書房
    florentine
    florentine 2009/12/09
    そうそう、これを読もうと思ってたのだ。ユベルマンも根性出して読むしかないか。ああああ.
  • 磁力と重力の発見 1 | 古代・中世 | みすず書房

    近代物理学成立のキー概念は力、とりわけ万有引力だろう。天体間にはたらく重力を太陽系に組み込むことで、近代物理学は勝利の進軍の第一歩を踏み出した。 ところが、人が直接ものを押し引きするような擬人的な力の表象とちがって、遠隔作用する力は〈発見〉され説明されなくてはならなかった。遠隔力としての重力は実感として認めにくく、ニュートンの当時にも科学のリーダーたちからは厳しく排斥された。むしろ占星術・魔術的思考のほうになじみやすいものだったのである。そして、古来ほとんど唯一顕著な遠隔力の例となってきたのが磁力である。 こうして書の追跡がはじまる。従来の科学史で見落とされてきた一千年余の、さまざまな言説の競合と技術的実践をたどり、ニュートンとクーロンの登場でこの心躍る前=科学史にひとまず幕がおりるとき、近代自然科学はどうして近代ヨーロッパに生まれたのか、その秘密に手の届く至近距離にまで来ているのに気づ

    磁力と重力の発見 1 | 古代・中世 | みすず書房
  • 一六世紀文化革命 1 | みすず書房

    〈16世紀はさまざまな側面で17世紀科学革命が準備された時期と言われている。そういう見方をすれば、その準備はそれまで文字文化から疎外されていた芸術家や職人たちによって担われたと言えよう。彼らの側からの著述と学問世界への越境は、それまでのラテン語を操るエリートによる知の独占を打破し、中世以来の伝統であった自由学科と機械的学科の分離・切断を克服し、純粋な知的作業とされていた理論的研究と手工的技術に帰されていた実験的研究の結合を促し、手仕事と機械的なるものにたいするポジティブな価値評価への転換を迫るものであった。ボッカッチョやラファエッロをいだく14・15世紀のルネサンスとガリレオやニュートンに代表される17世紀科学革命のあいだの谷間のように見られている16世紀に、なるほどそのようなきらびやかな天才の名前には乏しいにしても、しかし17世紀を準備することになる知の世界の地殻変動すなわち「16世紀文

    一六世紀文化革命 1 | みすず書房
  • クロード・レヴィ=ストロース | みすず書房

    1908年11月28日ベルギーに生まれる。パリ大学卒業。1931年、哲学教授資格を得る。1935年、新設のサン・パウロ大学に社会学教授として赴任、人類学の研究を始める。1941年からニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで文化人類学の研究に従事。1947年末パリに戻る。1959年コレージュ・ド・フランスの正教授となり、社会人類学の講座を創設。1973年アカデミー・フランセーズ会員に選出される。1982年コレージュ・ド・フランス退官。2008年プレイヤード叢書(ガリマール社、フランス)全1冊の著作集Œuvres刊。2009年10月30日、100歳で逝去。著書『親族の基構造』(1949)〔馬淵・田島監訳、全2巻、番町書房、1977/78、福井和美訳、青弓社、2000〕、『人種と歴史』(1952)〔荒川幾男訳、みすず書房、1970〕、『悲しき熱帯』(1955)〔川田順造訳

  • みる きく よむ | みすず書房

    絵を見る、音楽を聴く、そして文学を読む…。現代の文化人類学を代表する著者は、20世紀ヨーロッパ精神を具現する人物でもあり、書では、それまでの卓越した学問的営為によって到達した知見を踏まえたうえで「人間レヴィ=ストロースの風采が、フィロゾーフ(愛智者)としての面貌が、前景に出ている」(訳者)——たとえば、17世紀フランスの画家プッサンの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」と、プルーストの『失われた時を求めて』を並置して「時間」という問題を考え、あるいは、18世紀の聴衆を熱狂させたラモーのオペラ「カストールとポリュックス」の旋律と和音の革新性にあらためて驚嘆する、というふうに。 芸術は、人間の営みにどのような位置を占めるのだろうか? 創造の源泉は? 芸術の普遍性とは? 読者はきっと、レヴィ=ストロースの「思考の快楽」の魅力に浸り、それを共有する愉しみに次から次へと誘われることだろう。

    みる きく よむ | みすず書房
    florentine
    florentine 2009/11/04
    わたしにプッサンへのさらなる理解と愛をうながし、プルーストへの果てのない、けれど快く美しい道を指し示してくれた本。いっぽう、「きく」ことの絶望的な才の無さを突きつけてくれた本でもあるけれど(笑)。
  • 書物から読書へ | みすず書房

    読書は日常を彩るささやかな創造の営みである。書物の返すこだまを自分自身の声として聴くよろこび。ひとは〈読む〉ことによってに生命を吹き込む。——だが、この体験は語りうるだろうか。読書のあり方とは、時間や空間を選ばず、つまるところ読み手ひとりひとりの個性に還元されるものではないのか。 このようなイメージを「再審に付す」ため、十人あまりの読書家が南フランスの古い修道院に集った。書は、そのたわわな成果である。社会学、文学史、批評そして歴史学……異なったジャンルに属する研究者たちが、読書という行為にあらゆる角度から照明をあてていく。こうしてひとつの問いかけを共有することによって、この凝縮した討議は、新しい文化史研究のはじまりを告げるものとなった。 読書は、時代の刻印を帯びた行為であり、行われ方次第で多様な意味をつくり出す。シャルチエは、従来アナール派の歴史学が築いてきた書物の社会史の意義を十分に

    書物から読書へ | みすず書房
  • ヘゲソの鼻 | みすず書房

    「通常文字に傳へられてゐない史料は説得力が弱いと見られてゐる。しかし文字の及ばないところに音楽が生れ、美術が生ずるのではないか。書かれなかつた事は無かつたといふ證據にはならない……更に文字の傳へなかつたところを美術が——ギリシアに於いて特に——補つてくれる。否補ふといふより、文學の語らないものを語つてゐるのである」(「石の語る言葉」)。 はるか留学時代を偲びつつ、フィレンツェ・ヴェネツィア・シチリアの旅を瑞々しく回想した「イタリアの宿」をはじめ、イタリア所在のギリシア墓碑、白地レキュトスに於ける死者の表現、さらに美術史研究の核心に迫る芳醇なるエッセー「ヘゲソの鼻」「石の語る言葉」など、珠玉の八篇を収録。ギリシアの墓碑に普遍的な人間の心性を透視した碩学のモニュメント。 明治44年(1911)8月23日、東京に生まれる。昭和10年(1935)東北帝国大学卒業。昭和34年(1959)文部省在外研

    ヘゲソの鼻 | みすず書房
    florentine
    florentine 2009/09/16
    これ未読、思い出した。