タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/trx_45 (6)

  • 地域社会が壊れていく - Cosmos Factory

    「自治体と自治会と」で触れた事例に、耕作放棄地への企業進出をあげた。近ごろは野菜工場なるものもあって、より品質の高い農産物への注目も高い。いっぽうで料自給率の問題や耕作放棄地の問題など、農業めぐる近々の対応が急がれることがらが多い。国の施策を見てもそうした対応に即した補助事業制度が掲げられ、あたかもそうした課題一点を解消するべく餌が撒かれているという印象が強い。財政難の地方にあっては、いかなる補助制度をも利用しなくては、という意識が高まり、たとえば地方の議会議事録を紐解いても、補助金利用に関する自治体理事者への質問が多い。「補助金に使われるな」という言葉もあるが、使えるものは使え、が自治体の至上命令であることは今もそう変わらない。 農業は小規模経営では成り立たないということで、規模拡大が図られてきた。しかし日の国土、とりわけ長野県のような山あり谷ありの地形では大規模化が難しいことは知ら

    地域社会が壊れていく - Cosmos Factory
    fm315
    fm315 2012/04/20
    「地域社会が壊れていく」
  • 長野県の民俗芸能から⑤ - Cosmos Factory

    長野県の民俗芸能から④より 祭り囃子はつくりもの風流には欠かせないもののひとつであるが、前回触れたように、飯田下伊那地方に夥しく分布する獅子舞には囃子屋台が獅子舞の屋台とは別に存在することが多々ある。そして、獅子舞と囃子屋台を一連のものとして捉えると、この行列の一行を獅子舞としてくくってしまうケースも珍しくない。しかし、その起こりを正せば、獅子舞と囃子は別物であることは容易に解る。すると祭典に奉納される獅子舞にしても囃子屋台にしても、別の芸能として頭だしするのが来だと思うのだが、このあたりが悉皆的な調査をしても曖昧になりがちなのだ。稿の冒頭で触れた長野県教育委員会によって発行された『長野県の民俗芸能-長野県民俗芸能緊急調査報告書-』もその曖昧は解消されていない。その調査にかかわった一人であるわたしも、当時そのあたりを意識せずに捉えていたことも事実。例えば行列風流の代表格でもある御柱祭の

    長野県の民俗芸能から⑤ - Cosmos Factory
  • この地を生かすために - Cosmos Factory

    足元を見つめたい・前編 足元を見つめたい・後編 リニアについてはほとんどがトンネルだということを興味のない人はあまり知らない。そのうえリニアには乗務員が乗らないという。すべて遠隔操作というわけで乗客は籠の中に閉じ込められた鳥のようなものだ。あまりに乗車時間が短いから、販売なんかもないんだろう。地域振興なんていうテーマにリニアを遡上させる人たちは多いが、そもそもこんな道具がそれらしくないことは容易に解る。 以前「リニア「計画」のまとめにかえて③」のなかで山間僻地さんの「飯田に人々をひきつける「文化」があるとしたら、リニアが無くても、東京まで4時間かかろうとも、「人口増」に成るのではないでしょうか?」という言葉を紹介した。「足元を見つめたい」でサイモン・ピゴットさんは東京から伊那谷間での時間があるからこそ気分を変えるのにちょうど良いと言った。地域振興になどほとんど無関係なリニアに期待しても、自

    この地を生かすために - Cosmos Factory
    fm315
    fm315 2012/02/21
    "下伊那郡喬木村富田下にある諏訪神社の舞台は、庭に面して道路があるが、その道路を挟んだ土地は傾斜地であり、舞台を見渡すにはちょうど良い空間である。"
  • 足元を見つめたい・後編 - Cosmos Factory

    リニア飯田駅の1日当たり利用者数を7千人と見込んでいるという。浦野清さんの指摘に沿って信濃毎日新聞の「リニア新時代」を担当されている記者は1日18の停車を想定している。往復なら36ということになるのだろうが、7千人を36で割ると1当たりにすると194人になる。JR東海による1当たりの定員は1千人と記事では述べている。中間駅で停車する列車と直通列車では趣がちがってくるだろうから簡単に電卓を叩いた通りにはならないだろうが、1千人の定員の2割近い客が飯田で乗降(乗り降りする客がいるから実際の利用者数は計算上もっと多くなるのだろうがも倍としても1割に当たる)するとはなかなか考えにくい。そもそも7千人の利用者という想定が多すぎると思う。 昨日もいつもの長野行きの列車に乗ると、ビジネスマンらしき客が篠ノ井まで、と乗車券を購入していた。こんなビジネスマンがたくさん乗車しているのなら良いがとても

    足元を見つめたい・後編 - Cosmos Factory
    fm315
    fm315 2012/02/19
    "「何かをより便利なものにする時は、違う不便が生じてくる」とサイモン・ピゴットさんは懸念されている。距離に見合った時間、それは考える時間だとわたしは思う。"
  • 「世間」の病 - Cosmos Factory

    「おまえさんのこと、世間でなんて言われているか知っているか」、こう言われるとけっこう応えるフレーズである。もちろんこうしたフレーズの後に発せられる言葉は、悪いことに違いないからだ。かつてわたしもそう言われて激しい口喧嘩を酒の席で繰り広げたことがあるが、こうした言葉を発する側は、「世間」を例にあげて自ら発するその先の言葉を正当化しようとする。「世間」で出回っている噂などというものは不確かこの上ないものなのだが、それでもこの言葉が浴びせられる側は良い気分でないことは言うまでもないだろう。自ら良い思いをしなかった経験から、このフレーズを使って人を諭すことはしないことにしている。 は父や母の介護に明け暮れながらも、それが娘であるが故の当たり前のことと承知はしている。このケースをかつての「家」が活きていた時代に返してみよう。もちろん時代錯誤と言われる過去の事例ではあるが、それが失われたことによって

    「世間」の病 - Cosmos Factory
  • 地方に明日はない - Cosmos Factory

    知人は「ふるさと納税議論→地方と都市の共生へ」のなかで、日農業新聞がとりあげた『田園立国』特集の記事「地方のあした」について触れている。竹中平蔵氏と下伊那郡泰阜村村長の松島貞治氏の対論が掲載されている。対論というのだから相反する論ということになる。ご存知の通り、竹中氏は地方交付税率を変えた張人ということもあって地方の嫌われ者みたいな雰囲気がある。いっぽう松島氏は小さな村を独特な手法で自立しようとしている人だ。知人も言うように、両者の言い分は正当かもしれないが、例えば松島氏の背景をみたとき、彼がいる今は良いが、いなくなったときにこの村はどうなるのだという懸念もある。リーダーが変われば様子は一変することもあり得る。そうしたときにどうするのか、地方はそんな変化に対応できるほど懐がない。だからどういう手法がその地域の将来のためになるのか、様子が激変していく情勢のなか、なかなか読めないのが現実だ

    地方に明日はない - Cosmos Factory
  • 1