数年前バスに乗っていたとき、こういうことがあった。私のすぐ後ろの席に男性の二人連れが乗っていた。乗るときにちらっと見たが、一人はかなりオッサンでどうやら出張か何かで福岡に来ている人らしい。もう一人は若くて、おそらくそのオッサンの案内役の地元の人。そのオッサンが連れを相手に何を喋っているかというと「福岡市がいかに田舎か」ということを熱心に説いているのだった。しかもかなり大声で。福岡が田舎である根拠としては、地下鉄の路線が少ない、ということだった(当時は七隈線もなかった)。主要道路の地下に地下鉄が走っておらず路上をバスが走っているなんて田舎だ!というようなことを熱く主張。比較として地下鉄が走っている他都市を出して、福岡のほうが田舎だと強調。でも別に地下鉄愛好家というわけでもなさそうで、ただ福岡は田舎であると言いたいだけのようだった。しかもバスは西○の独占状態だ、それがいかん、みたいなことを大声
二人組みになる必要があるなら、適当に順番で切ってけばいい。http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20070315/1173947073そうそう、高校がこれだった。これで、二人組やグループ分けをするときにあぶれるわずらわしさから解放されて、その点に関してだけはたすかった。「学校というソーシャルな場所でなんで人を選ぶわけ?」 たしかにそうだ。だが、当時は、教員が一方的に決めるのは強権的抑圧的なやり方であり、生徒に自由に決めさせるのが「いいこと」という風にたいていの人は考えていた。つうか今もそうか。その高校の教員たちにしても別に学校がソーシャルな場だからということで機械的に割り振っていたわけじゃなくて、生徒に自由にさせるなどけしからんという発想だったと思う。万事そういう校風だったので。校内誌を作ってる人たちがなんだったか(別に政治的でもなんでもない他愛ない内容だったと思う
生徒の人間関係を把握したがる先生たち - kmizusawaの日記のコメント欄で「田中」さんから教えていただいたのだけど、どうも例のアンケートは「ソシオメトリー」というものの一種らしい。ソシオメトリーをもう一度学校関係者の間では一般的なもののようだ。最近は下火になっているらしいが。でも一方でこういう話も。まあ学級を「経営」していく側としてはいろいろ把握しておきたいものなんだろうけど。 というようなことを考えながら春の牡丹餅☆秋のお萩(それでもやはり仮称は続く)今こそ団結の時?等に書かれている全国学力・学習状況調査の話を読んで、なんか似てるよなーと思った。行政側の立場として施策に役立てるためには調査が必要というのは理解できないではない。でも調査される側としては、そんな数値としての把握などされたくないし、まして生活習慣をたずねられるなど「大きなお世話」だろう。こういうのは調査する側に対する信用
文化依存症候群 - fuuuuuuunの日記ああなんかそういう傾向あるかもなあと思った。なんていうか、ネットでの発言見ていても、普段耳にする発言でも、自分の脳内でも、人として心がけるべき第一が「他人に迷惑かけるな」「不快感を与えるな」であり、誰か(自分も含めて)を非難するときに出てくるのも「迷惑をかけることはよくない」「他人を不快にする・傷つけるのはよくない」であり、誰かを排除するときの理由として出てくるのが「あいつは迷惑だ・不快だ(キモい・ウザい)」であり。「社会的な不器用さのため他人によって非難される」ということですら、「相手を不快にした(怒らせた)・手間を取らせた・迷惑かけた」という、言われる側の加害性もしくは自律性のなさの問題として捉えられがち。逆にそれに対抗したり開き直ったりする場合、ことさら「迷惑かけたっていいじゃないか、お互い様だ」となったりする。とにかくもう、どこに行っても
自分を異質として少数派にしてしまうのはどうしてなんだろう。メモこれはやはり経験によるところが大きいのではないかと。子どもの頃からの積み重ねで、「あんたは変わってる」とか「気持ち悪いからこっちに来るな」とか、まあその種の否定的・排除的なことを何度も言われていたり、好きなもの同士でグループ作ったら必ず余るとか、ケンカしたら周囲は皆傍観者か相手の味方、というような経験をフォローもなしに重ねていると、「自分は他の人には受け入れてもらえない「違う」ところ「おかしな」ところ「間違っている」ところがあるのだ」と思い、またそのことを否定的に捉えるようになっても、ある程度仕方がないと思います。もちろんそこで一所懸命「悪い」と思われるところを「直した」結果、皆に受け入れられるようになったとか、成長過程でそのような認識を覆すような経験があり、自己像がポジティブなほうに修正されたという人もいると思うけど、そういう
・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
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