<人足寄場>寛政の改革により江戸石川島に設けられた厚生施設。江戸時代、軽罪者のなかには刑を了えたあと帰るにも家なく、引きとる親戚もない者が再び無宿者となって、再犯するおそれがあった。1790年(寛政2)老中松平定信は火付盗賊改、長谷川宣雄の言をいれ、服刑後の軽罪人を集めて職業指導するための寄場を設けた。ここに集められた人足には大工・建具・指物・塗り物など各自特有の手業をさせ、それのない者には、米つき・たどんつくり・わら細工などを、あるいは土木人足として使役させた。役人の名に手業掛・溜場油絞方などの係がみえる。労働に相当する賃銭を与え、その3分の1をとりおいて在場3年の後、親戚があれば引きわたし、引取人のない者は生地の名主または地役人に引きわたし、預金を与えるとともに手当を給し、これを元手として正業に就かせた、正式には加役方人足寄場という。幕末までに平均300~400人の人足がおり、石川島の