“はにー&どぐー”は、公益財団法人 日本サッカー協会が主催する大会やイベントの盛り上げ・話題づくりをサポートする役割を担う、JFA公認のプロモーションサポートマスコットです。 かつて『炎の日本代表サポーター』として活躍していた“はにー&どぐー”は、90年代後半に全国各地のスタジアムに出没していました。1999年春から13年間の長い眠りの後、今年5月の金環日食で目覚め、第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会の応援マスコット(見習い)として活動を再開することになりました。 「天皇杯オリジナルクリアファイル」は、“はにー&どぐー”をデザインしたA5サイズの仕様となっており、1回戦から3回戦において、チケット販売促進や来場者サービスなど、集客につながる方法で配布されます。 ■はにー&どぐー ■天皇杯オリジナルクリアファイル
たった6分間うたた寝しただけでも効果あり 昼食後にうたた寝の誘惑に屈したら,上司の機嫌を損なうことになるだろう。だが,最新の研究結果からすると,むしろ褒められるべきかもしれない。 睡眠が記憶を強化することを示した研究結果はたくさんあるが,独デュッセルドルフ大学のラール(Olaf Lahl)らは,わずか6分間の睡眠で記憶が大幅に強まることを示して,昼寝パワーをさらに後押しした。これほど短時間の睡眠が精神機能に影響することを明らかにしたのは初めてだ。意識を失うときに,記憶を定着する何かが起こっているようだとラールはいう。 実験では被験者たちを大学の研究室に午後1時に集め,30個の単語を掲げたリストを2分間で記憶するよう指示して,1時間後にどれだけ覚えているかテストした。テストまでの間は,起きたままか,6分間のうたた寝をするか,平均35分間の昼寝をするかのいずれか。この結果,睡眠なしの被験者が覚
モンテディオ山形では、柏レイソルに所属する林陵平選手が期限付き(2012年7月25日~2013年1月31日)移籍加入することになりましたのでお知らせいたします。 林 陵平 選手(はやし りょうへい)Ryohei HAYASHI 生年月日: 1986年9月8日(25歳) 身長体重: 186cm、80kg 出身地: 東京都 ポジション: FW 契約期間: 2012年7月25日~2013年1月31日 背番号: モンテディオ山形 No.39 経歴: 明治大学(~2008)→東京ヴェルディ→柏レイソル→モンテディオ山形 ※1999~2004 ヴェルディジュニアユース→ヴェルディユース ※2007 横浜FC(特別指定選手) 通算出場記録(2012年7月24日現在): シーズン 所属クラブ 所属リーグ リーグ戦 カップ戦 天皇杯 出場 得点 出場 得点 出場 得
【モンテ】FW林を獲得方針 柏から、得点力アップへ 2012年07月24日 09:31 サッカーJ2・モンテディオ山形がJ1柏からFW林陵平(25)を獲得する方針を固めたことが23日、関係者への取材で分かった。得点力アップを狙っての補強とみられる。 林は身長186センチの大型FW。明大出で、2009年に東京Vに入団し10年から柏でプレーしている。J1昇格を決めた10年には、リーグ戦24試合に出場し10点をマークするなど活躍。今季はこれまで、リーグ戦3試合に出場している。
1992年11月23日 国立競技場で行われた1992Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝(ヴェルディ川崎vs.清水エスパルス)は、56,000人の大観衆の中で行われた【写真:アフロスポーツ】 1992年9月に開幕したJリーグ最初の公式戦、ヤマザキナビスコカップは、節を追うごとに注目を集めていった。この年に初の外国籍監督、初のプロ監督として就任したハンス・オフト(オランダ)の下で急成長した日本代表の活躍も相まって未曾有のサッカー・ブームが訪れ、1993年5月のJリーグ・スタートに国民的な関心が集まることになる。 Jリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」第3回は、嵐のような騒ぎのなかでたどり着いたJリーグ開幕までの裏話をお届けする。 ■1試合平均9435人を集めたナビスコカップ 1992
いま振り返ると必然的な流れだったように思える「日本サッカーリーグ(1965〜92)」から「Jリーグ(1992〜)」への移行。しかし実際には決してスムーズではなかった。考え方、環境、施設。両者の間で、あらゆるものに大きな隔たりがあったからだ。 「プロリーグ設立準備室」事務局長からJリーグの初代事務局長、広報室長、理事、常務理事などの立場で2012年3月までリーグ運営に当たってきた佐々木一樹さんに聞く「Jリーグ20年の裏面史」の第2回は、1992年、Jリーグ最初の公式戦となった「ヤマザキナビスコカップ」開幕までの裏話をお届けする。 ■大半が企業チームだった日本リーグ時代 「プロサッカーリーグ」がスタートすると決まったとき、すでに日本サッカーリーグ(JSL)で活躍していた選手のすべてが快哉を叫んだわけではなかった。 当時のJSLは1部12チーム、2部16チーム。28チーム中24が「企業チーム
Jリーグが誕生して20年。 それは日本という国にとって、右肩上がりで続いた怖いもの知らずの経済成長の時代が終わり、いくつもの困難を経て「質的な変革」を迫られた20年間だった。そしてその時期に日本全国でスポーツ環境の改善が飛躍的に進んだことは、Jリーグの存在、そしてその理念に基づいた積極的な活動と無関係ではない。いや、そのけん引役となったものこそ、Jリーグだった。 サッカーの面でも、1968年のメキシコオリンピックから20年以上も世界の舞台に立つことができなかった状況から、アジアカップで4回優勝、FIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ4回連続出場、うち2回はベスト16と、世界に認められる存在に急成長した。 8府県10クラブから始まったJリーグは、2012年には29都道府県40クラブに拡大、それぞれのホームタウンで不可欠な存在となって地域の人びとに喜びや生きがいを与えている。 その
柏の長身FW・林を獲得…山形 J1柏のFW林陵平(25)がJ2山形に移籍することが23日、分かった。林は186センチの長身FWで、山形が今季から採用した3トップの中央でポストプレーを任せられるストライカーとして白羽の矢が立った格好だ。加えて09年に明大を卒業とMF宮沢、MF宮阪、DF石井と“明大閥”が幅をきかせるモンテにはうってつけの人材だ。 チームは22日の湘南戦をスコアレスドローで終えて5位に転落。5月以降連勝もなく、1年でのJ1復帰のための切り札として獲得に動いていた。
たとえピッチを離れても、その志はサッカー選手であった頃の自分と何ら変わらない。 明日はもっと、いい選手になる――。ただそれだけを考えて、藤田俊哉はJリーガーとしてのキャリアを全うしてきた。 去る7月3日、20年に及ぶJリーグの歴史のうち、18年間をJリーガーとして過ごした藤田が引退会見に臨んだ。その場で藤田が口にしたのは、指導者としての海外挑戦、さらにその先に日本代表監督の椅子を見据えるという、個人的には少し意外な結論だった。 藤田によれば、その挑戦は国内最高の指導者資格「S級ライセンス」の取得に始まり、1年後にはオランダのVVVに渡って指導者としてのキャリアを本格的にスタートさせるという。いずれにしても、Jリーグの歴史にその名を刻む名手がまた一人、ピッチを離れる決断を下した。 直感的にプレーする、ジュビロきっての“感覚派”。 約半年前の今年1月、20年目のJリーグ開幕を特集するNumbe
メジャー12年目のマリナーズ・イチロー外野手(38)が23日(日本時間24日)、ヤンキースへ移籍することが決まった。ヤンキースのマイナー、ミッチェルとファークワーのともに25歳右腕投手2人とのトレードが成立した。背番号は31。 イチローはオリックスから2001年にマリナーズへ移籍し、1年目の01年に首位打者とア・リーグ最優秀選手賞(MVP)を獲得。04年にも首位打者となった。今季はここまで402打数105安打で打率は2割6分1厘。打点は28で本塁打は4。 イチローは移籍会見で、目をはらし声を詰まらせながら「11年半ありがとうございました。良かったときも悪かった時も同じ時間を共有してきたと思うと感慨深い。どんなときもファンの方が支えだった。ユニホームを脱ぐのは寂しい」とマリナーズに対し感謝し、続けて「今回の決断は大変難しいものだった。オールスター休みに自分なりに考え出した結論は、20代の若い
医療機器の開発販売を手掛ける新興光器製作所(東京・杉並、福与恒雄社長)は年内にも、関節に差し込んだ細いカメラを通じて、骨や靱帯の様子を立体画像としてモニターに映し出す機器を発売する。関節の軟骨や靱帯を損傷した患者に対し、患部を大きく切り開かず、小さな穴をあけて行う手術がしやすくなる。発売を予定しているのはひざ、肩などの関節に差し込み内部を観察する「関節鏡」と呼ばれる機器。
イチロー、トレードでヤンキース移籍 ヤンキースへの移籍記者会見をするイチロー外野手(共同) マリナーズのイチロー外野手(38)が23日、トレードでヤンキースへ移籍した。同日、両球団が発表した。マリナーズへはマイナーの2投手が移籍する。 イチローはプロ野球オリックスから2001年にマリナーズへ移籍し、今季が12年目。1年目の01年に首位打者とア・リーグ最優秀選手賞(MVP)を獲得して衝撃的なデビューを飾り、04年にも首位打者となった。 ヤンキースには黒田博樹投手が所属しており、03年から09年には松井秀喜外野手がプレー。チーム歴代6人目の日本選手となる。
柏の長身FW林を獲得へ…山形 山形が柏のFW林陵平(25)を獲得することが23日、分かった。近日中に両クラブが発表する。林は186センチの長身を生かしたポストプレーが持ち味。前線でキープ力のあるFWを探していた山形が獲得に乗り出した。関係者によると柏は外国人FWの加入が決定的で、J1昇格の切り札として出場機会を求める林の獲得に乗り出していた。山形は22日の湘南戦で引き分けてアウェー7戦連続未勝利。5位に転落していた。
練馬を中心に活動するヒーロー「亡装遺体(ぼうそういたい)ネクロマン」の短編映像の撮影が7月18日、練馬白山神社(練馬区練馬4)で行われた。 監督はイギリス人のニール・ネルソンさん。イギリスでは、ゾンビ映画「28週後...」でカメラマンを務めたほか、映画「007」シリーズの23作目「007 スカイフォール」やロン・ハワード監督の「Rush」でスタントマンを担当するなど、多岐にわたり活躍している。 「亡装遺体ネクロマン」は、ウェブマガジン「ヒーロークロスライン」に連載されていた漫画で、松本久志さんの作品。同サイトのヒーローを使ってイベント活動を行っているエンターテインメント企画団体「プロジェクトエンジン」(桜台)は現在、ネクロマンを使って防災啓蒙活動を同区内で行っている。 今回の撮影が実現したのは同団体のメンバーがイギリス留学中にニールさんと出会ったことがきっかけ。たまたま観光で日本に来るニー
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