小笠原諸島の父島には1800年代に欧米やポリネシアから渡ってきた人々の子孫がいまも暮らし、日本語と英語が混在した独自の方言が話されている。太平洋戦争、米軍による統治、日本への返還……歴史に翻弄されながらも多民族共生社会を築いてきた日本の離島を米紙記者が訪ねた。 人口の1割が西洋系移民の子孫 東京から船で24時間、約1000キロ離れた太平洋上に位置する父島。この島には約200年前に、新しい生活を求めてアメリカ、ヨーロッパ、ポリネシアからやってきた入植者らに由来する独自の文化がいまなお息づいている。 父島の閑散とした表通りを歩いているのは、見た目が外国人の島民。名前もセイボリー、ワシントン、ゴンサレスと、日本離れしている。ごく少数の島民はいまも日本語、英語、ときにはハワイ現地語の混在した父島方言を話したりする。 この島は植民地化政策、ナショナリズム、戦争の嵐に翻弄されてきたが、いまも民族、文化
