タグ

士に関するfunaki_naotoのブックマーク (10)

  • 戦闘集団から領主へ/中世武士団(国立歴史民俗博物館) - 見もの・読みもの日記

    〇国立歴史民俗博物館 企画展示『中世武士団-地域に生きた武家の領主-』(2022年3月15日~5月8日) 展は、中世武士団を戦闘集団ではなく「領主組織」という観点から捉え、13世紀~15世紀を中心に、地域支配の実態と展開を明らかにする、とウェブサイトの企画趣旨にちゃんと書かれていたのに、私はこれを読まずに、武士団=戦闘集団という先入観で見に行ったので、会場でけっこう戸惑ってしまった。 冒頭には、当然、戦う武士団の姿が提示される。荒涼とした合戦風景を描く歴博『前九年合戦絵詞』を久しぶりに見た。東博でも時々見るが、東博と歴博はともに祖からの派生(模写)なのだな。品は13世紀後半の成立だが、源平合戦(12世紀末)の戦闘の資料と考えられており、描かれた武士は、静止した馬上から前方の敵を射ている。「合わせ弓」の登場により矢の飛距離が伸びたので、離れた位置から敵を射ること(馬静止射)が

    戦闘集団から領主へ/中世武士団(国立歴史民俗博物館) - 見もの・読みもの日記
  • 『太刀を手放した理由 太刀から打刀へ』

    大小二振りの打刀を腰帯に差す定番となった姿はいつからか。上杉謙信、景勝軍装図で触れたこのテーマ。太刀は何故、所持され無くなったのかを別項でまとめてみました。 永禄の将軍義輝の時代を描いたという上杉洛中洛外図。義輝邸に出入りする侍たちは誰一人太刀を持たない。何故だろうか。 ドラマ等の映像馴れした現代人には以外だろうが、これは太刀は兵仗(戦闘武器)と見なされていた証拠では。つまり太刀を履く行為は例え平服であっても、武装と見なす慣習が有ったのだと考える。 例えるなら銃は引き金一つで殺傷可能な故にホルスターから抜いた時点で、いやホルスターに収まった銃に手を伸ばしただけで殺意有りと判断されるが、それと同等に考えて良いと思える。 太刀は履き緒を腰に回して固定する。その行為そのものが、銃の安全装置を外した状態であり戦闘準備、意思を示す意味があった。 その為に冒頭の将軍邸という武士の集まる場所では太刀そ

    『太刀を手放した理由 太刀から打刀へ』
  • 武具と文書/武士とはなにか(国立歴史民俗博物館) - 見もの・読みもの日記

    ○国立歴史民俗博物館 企画展示『武士とは何か』(2010年10月26日~12月26日) 「武士の世を、終わらせるかえ?」は大河ドラマ『龍馬伝』終盤の決めゼリフだが、展の趣旨にいう、10世紀から19世紀(中世と近世)には、わたしたち現代人が武士、サムライなどと呼びならわし、その風体や生活様式などに一定のイメージを有する、武人たちとその家々が階層的に存在した。しかし、武士そのものを他と峻別し特徴づけるメルクマール(指標、目印)は、意外なことに明確ではない。そこで展は、資料に基づき、あらためて「武士とは何か」の再考を迫る。 プロローグに続くのは「戦いのかたち」。馬具だの鎧だの鏃(やじり)だのを、所狭しと並べた大きな展示ケースの底のほうに、色のかすれた地味な絵巻がちょろりと広げられている。おお、いきなり『前九年合戦詞』(重文)じゃないか! 私はこの絵巻を見に来たのに…。 以下、しばらくは、刀剣

    武具と文書/武士とはなにか(国立歴史民俗博物館) - 見もの・読みもの日記
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0823.html

  • asahi.com(朝日新聞社):武士はなぜ歌を詠むか―鎌倉将軍から戦国大名まで [著]小川剛生 - 書評 - BOOK

  • 今週の本棚:五味文彦・評 『武士はなぜ歌を詠むか…』=小川剛生・著 - 毎日jp(毎日新聞)

  • 武士というもの: 極東ブログ

    昨日のエントリ「極東ブログ: 三橋一夫のこと」(参照)の続きのような話。とはいえなんとなくもわわんとして特にまとまりはない。なんというのか、「日」とか「武術」とか「古武道」とか「武士道」とかまあ、最近言われているその手のものへの違和感にある歴史感覚のズレのようなことをこのところいろいろ思う。「ナンバ歩き」みたいなものも自分ではその部類だろうか。とりあえす、「武士というもの」かな。仮に問いを立ててみる。 武士道で一番大切なことは何か? 武士にとって何が一番大切か?と言い換えてもいいような。いやそうでもないような。微妙な感じがするのは、我々が「武士」と思っているもののイメージは、歴史における武士とまるっきり違うのではないか。以前与太で関連エントリを書いたことがあるけど、与太マークをしなかったので誤解されて困惑したが、たとえば宮武蔵とか、彼は実際には一種の芸人でしょう、と。人斬りとかもどっち

  • 「忠」は「恋」の気分/武士道とエロス(氏家幹人) - 見もの・読みもの日記

    ○氏家幹人『武士道とエロス』(講談社現代新書) 講談社 1995.2 「忠」という感情は「恋」の気分と不可分だった。うまいことを言うものだ。戦国時代、男どうしの同性愛は、ありふれた習俗だった。例に挙げられているのは、宣教師フロイスの記録、武田信玄の誓文、越中神保氏が美童を送り込んで上杉謙信の暗殺を狙った話、蘆名盛隆と佐竹義重の”敵対する主将どうしの恋”(!)など。 徳川の平和が到来すると、戦国の気風は急速に色褪せ、18世紀半ば(享保~元文)を境に男色は社会の表舞台から消えていく。文政期(19世紀初頭)、柳亭種彦は、若衆木偶(わかしゅにんぎょう=美少年フィギュア!)という骨董人形について、こういう人形は、かつては大人の愛玩物だった、と解説しているそうだ。 明治初年、下火になっていた少年愛習俗が再加熱する。稲垣足穂は、この原因を、東京に集まった「旧藩の青年ら」がもたらしたものとと推察している。

    「忠」は「恋」の気分/武士道とエロス(氏家幹人) - 見もの・読みもの日記
  • 武士道の息づく国・台湾 - I’ve been working on the railroad...

    5月30日から、台湾中華民国)の李登輝前総統が、芭蕉の「奥の細道」をたどる観光目的で、日を訪問されている。 これまで、外務省は、李登輝さんに対し、病気の治療など人道上の理由がある場合を除いて、ビザ(査証)の発給を渋ってきた。中国政府(北京)の反発を恐れたからである。だが、来、外国人の入国を認めるか否かは、国家の「主権的管轄事項」に属し、他国にとやかく言われる筋合いはない。むしろ、自国の政治的立場を押し付ける北京政府の側こそ、国際法上の「不干渉義務」違反である。 (なお、日政府は、昭和47年の日中共同声明に基づき、北京政府の立場を「十分理解し、尊重」する義務を負うのみであり(同声明第3項)、「台湾中国の一部」などという北京政府の一方的主張に拘束されるわけではない。) 最近、日政府は、台湾からの観光客に対してビザ取得を免除することとしたため、李登輝さんの訪日が実現した。依然、北京政

    武士道の息づく国・台湾 - I’ve been working on the railroad...
  • 『平安貴族も武士?あるいは文武両道 平泉の世紀 馬』

    2007年1月25日木曜 平安貴族も武士?あるいは、文武両道 平泉の世紀 「馬」(旧12月7日、己未) ヨッフムのブルックナーを、BGMに聞くともなく耳にしながら、など読む。なんとなくブルックナーという気分だ。それも、真剣に聞くというわけではなく、聞き流すという感じ。ブルックナーをこのように聞き流したいと思うことは珍しい。 二月か三月に平泉に行こうと思っている。で、先日から、高橋富雄『平泉の世紀 古代と中世の闇』(NHKブックス、1999年5月)を読んでいる。このが結構面白い。カバーの見返しには 《「平泉からの新しい日史」 征夷大将軍源頼朝に滅ばされ、歴史の脇役へと追いやられた平泉。しかし、史料の大胆な読み直しから明らかになったその実像は、我々の想像をはるかに凌駕し、京都朝廷や鎌倉幕府にも劣らない壮大な国家構想の存在と文化創造の精神を語る。東北地方を南北に縦断し、州最北端の十三湊へ

  • 1