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幸田露伴に関するfunaki_naotoのブックマーク (19)

  • 幸田露伴 貧富幸不幸

  • 『五重塔』の登場人物、郎円上人のモデルとなった人物は実在したのでしょうか。 | レファレンス協同データベース

    『日文芸鑑賞事典:近代名作1017選への招待 明治3~28年』(石隆一/[ほか]編纂 ぎょうせい 1987.8) p199~201「登場人物達は作者露伴のまったくの想像の産物というわけではなく」とあり、「自作の由来」(『唾玉集』)という露伴の談話について、「郎円上人の人物像については次の話から推察できそうです。此の男(倉)が上野の或寺の普請をしてゐた時に、此の寺の碩徳が才物と云はれてゐた或る宮様師をさとすのを聞いた」と紹介していますが、「上野の或寺」「寺の碩徳」というだけで、注釈はありません。 『唾玉集:明治諸家インタヴュー集 東洋文庫』(伊原青々園/編 平凡社 1995.8)p19~23には、郎円上人のモデルとなった人物についての記述はありませんでした。 『露伴九十九章』(日沼滉治/著 未知谷 2006.8) p165~166に円朗上人と寛永寺を『五重塔』の郎円上人と感応寺にかさねた

    『五重塔』の登場人物、郎円上人のモデルとなった人物は実在したのでしょうか。 | レファレンス協同データベース
  • 幸田露伴「連環記」 - 黌門客

    また中公文庫の話から始める。先月の新刊で、辰野隆『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』というのが出ている。中公文庫に辰野の著作が入るのはこれが初めてのことのようだ。弟子・渡辺一夫の著作が二十年以上も前にこの文庫に加わっていることを考えると、少し意外な感じもする。 辰野の『忘れ得ぬ人々』は、1939年に弘文堂書房から出た。のち角川文庫に入り、講談社文芸文庫にも入っている*1が、今回底としたのは、改造社版の選集であるという。中条省平氏の解説から引く。 戦後になって(一九四九年)、改造社から『辰野隆選集』が出たとき、第四巻が『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』というタイトルになって、谷崎との交遊を記した「記憶ちがい」以下五篇のエッセー*2が(『忘れ得ぬ人々』に―引用者)増補されました。書は、この改造社版選集を底として、一九八三年に出た福武書店版『辰野隆随想全集』第一巻から数篇を補っています。(p.280)

    幸田露伴「連環記」 - 黌門客
  • 露伴直筆原稿 向島で発見 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    明治から昭和初期にかけて活躍した文豪・幸田露伴(1867~1947年)が書いた原稿が、露伴がかつて住んだことがある墨田区向島から見つかった。成城大文芸学部の宮崎修多教授(国文学)が物と確認した。露伴の直筆原稿はこれまでにも見つかっているが、宮崎教授は「18ページにもわたり、鉛筆で書かれているのは珍しい」と話している。 見つかったのは、1927年頃に執筆、出版されたとの記録が残る「群書類従に就て」の原稿。江戸時代後期の国学者、塙保己一(1746~1821年)が古代から近世までの文献をまとめた「群書類従」を分かりやすく解説し、1957年の「露伴全集」(岩波書店)に収められている。 今回見つかった直筆原稿は、同区向島の越塚昭夫さん(80)が保管していた。昨年春に自宅を整理中、かつて芸者だった叔母の荷物から見つけて宮崎教授に鑑定を依頼。原稿には加筆・修正部分があり、修正後の内容は全集と一致してい

    露伴直筆原稿 向島で発見 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 幸田露伴訪ね 市川に 山本有三(14)

    昭和14年、山は文部省の「日語教科用図書調査委員」を命ぜられ、国語問題の功労者として国語協会から近衛文麿会長名で感謝状をもらっている。『日少国民文庫』配などの功績によるようだ。 その少 ・・・ 【残り 986文字】

    幸田露伴訪ね 市川に 山本有三(14)
  • 『幻談・観画談 他三篇』幸田露伴(岩波文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 蝸牛忌 - 黌門客

    今日は蝸牛忌*1なので(奇しくも、谷崎潤一郎の忌日がおなじ)、寺田透編『露伴随筆集(上)(下)』(岩波文庫,1993)が「お供」だった。このは、高島俊男先生が『中国と日人と』(ちくま文庫)で「それはそれはひどいもの」と(編纂方針を)手厳しく批判しているのだが(pp.92-94)、そこで逐一指摘された註の誤りや不正確な箇所は、私の所有する第3刷(2004)では、おおむね訂正されている*2。上巻解説に、「再版への解説者附記」を載せており、日附が「1994.10.18」となっているから、第2刷刊行時に改められたのだろう。 その解説者附記に、「先秦中国の史書史実に明るいらしい東都浪人子恠なる人物の岩波書店編集部宛の指弾嗤笑を交えた示教の投書により、いくつもの註の追加訂正の可能性が与えられた」(p.498)とあるのが、妙に気になるのだが、それはさておき。 - かつて、野田宇太郎の編輯にかか

    蝸牛忌 - 黌門客
  • 祖父のこと 母のこと|◎覚え書き◎

  • 明治44年、子供向けビジネス雑誌に連載された時代を超えたビジネス・モデルたち/幸田露伴「番茶會談」

    「実業少年」という子供向けビジネス雑誌(そんなものがあったのである)に明治44年、露伴が連載したもの。 さすがは露伴、のほほんとした強力(ごうりき)ぶりに目を見張る。 当時、少しでも見どころのある少年は、安定を求めて公務員になろう、大企業に入って終身雇用でぼったくろうなどと思ったりせず、必ずや自ら事業を興して成功してやらう、三井、岩崎が何する者ぞ、と心を決めているのだった。 だから子供向けビジネス雑誌といっても、今のサラリーマンくずれが読むものよりずっと気が利いてる。 というわけで、作中に登場する少年たちは、正体はよくわからないがとにかく物のわかったそのおじさんを尋ねる(おじさんは、読者である我々にはまるで露伴その人のように思える)。 おじさんは次々に、カード式の知的生産の技術や、そのうち軍事利用されるだろう飛行機の簡易撃退法や、加藤清正のごとく/紀伊国屋文左衛門のごとく、ハダカ一貫からの

    明治44年、子供向けビジネス雑誌に連載された時代を超えたビジネス・モデルたち/幸田露伴「番茶會談」
  • 流れる。 - 和田浦海岸

    幸田文に「流れる」と題する作品があります。 山夏彦著「最後のひと」というのは、 「諸君!」に連載された時の原題が「流れる」だったそうです。 ということで、「流れる」ということの連想。 橋敏男著「幸田家のしつけ」(平凡社新書)に 「生母が亡くなった後のまだ幼いころ、隅田川が氾濫したため、向島の家を離れて小石川の叔母の家に一時預けられたときのこと、おばあさんに銭湯へ連れられて行った。初めての経験ではしゃいだ気持ちでつっ立っていると、おばあさんに『女の子がお臍もまる出しにしてぺろんとつっ立っているとは何というざまだ』といわれた。そして足の裏を洗うさまが醜いともたしなめられた。これは文にとって忘れられないことらしく、後年女学校時代に友だちにそれとなく尋ねてみると、体を洗う【しつけ】に特別な記憶など持っている者はいなかった。だから文はこういうのである。 からだを洗うなどという一些事は、 毎日の流

    流れる。 - 和田浦海岸
  • "品格"とか言いたかったら、これ(露伴・文)を読んで~『幸田家のしつけ』 太田 肇著(評:清野 由美):日経ビジネスオンライン

    抽象的な言い方になるが、娘とは「母が育てる」ものであり、息子とは「父が育てるもの」ではないか、と、日ごろ、各界で活躍する多くの「娘」と「息子」たちに接していると、つくづくそう思う。 つまり人間も、その根幹には生物的な性別ラインが敷かれている、ということなのだろう。 しかし世の中には、いろいろな事情で、性別による割当ができない環境に置かれる「娘」と「息子」も多い。文筆家の幸田文はまさしくその例で、「母の娘」ではなく「父の娘」として育った人物だ。 父は明治の文豪、幸田露伴。露伴の最初のが文の生母だが、彼女は文が6歳の時に病気で亡くなる。その2年後に露伴は継母と再婚するが、継母は実母と違って家事に疎く、家庭生活はなかなかに難しいものだった。 となると、家事を担うのは娘の文の役割になる。こうして文は、まだまだ夢想にふけりたい思春期のうちから、掃除、洗濯、事など生活一切をまわすしつけを、父から受

    "品格"とか言いたかったら、これ(露伴・文)を読んで~『幸田家のしつけ』 太田 肇著(評:清野 由美):日経ビジネスオンライン
  • 今日の一冊 No.1 「五重塔」幸田露伴 - finalventの日記

    ネタはこれね⇒NHK 私の1冊 日の100冊 で、No.1は⇒安藤忠雄さんの私の1冊「五重塔」幸田露伴 | NHK 私の1冊 日の100冊 五重塔 (岩波文庫): 幸田 露伴 のっそりが親方を超えるあたりに安藤さんの建築家としての思い入れというのがある、というのはほぉと思った。 あとは、まあ、五重塔はあの時代のありがちな文章かな、美文かなくらいかな。 父・こんなこと (新潮文庫): 幸田 文 昔の人というか、戦前の人という雰囲気があるな。 そういえば⇒幸田露伴 - Wikipedia 露伴は幸田成延、猷夫の四男である。長兄の成常は実業家で相模紡績社長などを務めた。次兄の成忠は海軍軍人、探検家で、郡司家へ養子に出された。弟は歴史家の成友で、妹の延、幸はともに音楽家である。なお、兄弟は露伴以外全員キリスト教信者である。 このあたり気になっていたが。 ついでに。 幸田文の箪笥の引き出し (

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/10/28
    「女系的なつながりのなかでそれぞれの感性は生きている感じがします」
  • http://homepage2.nifty.com/riukiu/_t4uXZzZ.html

  • 幸田露伴 - palette d'azm...quotations

  • http://homepage3.nifty.com/rohan/ronbun/ronbun-6.html

  • http://homepage3.nifty.com/rohan/ronbun/ronbun-5.html

  • http://homepage3.nifty.com/rohan/index.html

  • 青空文庫 - 言語体の文章と浮雲

    幸田露伴 二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑(そもそも)まだ私などが文筆の事にたずさわらなかった程の古い昔に、彼(か)の「浮雲」でもって同君の名を知り伎倆を知り其執筆の苦心の話をも聞知ったのでありました。 当時所謂言文一致体の文章と云うものは専ら山田美妙君の努力によって支えられて居たような勢で有りましたが、其の文章の組織や色彩が余り異様であったために、そして又言語の実際には却て遠(とおざ)かって居たような傾(かたむき)もあったために、理知の判断からは言文一致と云うことを嫌わなかったものも感情上から之を悦ばなかったようの次第でありましたが、二葉亭さんの「浮雲」に於て取られた言語体の文章は其組織や其

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