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杉本つとむに関するfunaki_naotoのブックマーク (19)

  • 日本語 下手談義 杉本つとむ著

    つとむ著 四六判並製カバー装 516頁 定価4,400円+税 ISBN 978-4-89476-890-1 ひつじ書房 Poor Lessons for Japanese Language Sugimoto Tutomu 【内容】 日近代語の研究者として多くの著作のある杉つとむ氏の90歳を記念して、ご自身のこれまでに書かれたことばに関わるエッセイを集めたもの。漢字、俗字、辞書と辞書史、長崎通詞、日蓮の言語生活、緒方洪庵と適塾、稲荷山古墳の鉄剣の銘、長谷川伸、川路柳虹、文明開化、女ことば、日教育など、テーマは多岐に亘る。杉氏のことばに関する広い思索の軌跡を知ることができる。 【目次】 目次 まえがき I 随想 一 光、書斎の窓より入る 二 現代日教育を考える 三 日教育への一私見 四 日教育雑感 五 日語・表記・文字 六 ことばと個性 七 《言語時評》コンピュータ

  • この漢字読める?「宛字」は日本人の情緒の賜物 杉本つとむさん「宛字百景」|好書好日

    文:志賀佳織、写真:斉藤順子 杉つとむ(すぎもと・つとむ)早稲田大学名誉教授 1927年、横浜生まれ。早稲田大学文学部卒業。早稲田大学文学部教授を経て、現職。オーストラリア国立大学招聘教授をはじめ、モスクワ大学招聘教授、オランダ・ライデン国立大学研究員、北京日学研究センター講師など、海外でも日語学の教員を務めた。『杉つとむ著作選集』のほか、『語源海』『蘭学三昧』『馬琴、滝沢瑣吉とその言語生活』など著書多数。 ――「こんな言葉にこんな漢字をあてるんだ」「え、この漢字ってこういうふうに読むの?」 と驚きながら、どんどん頁を繰っていってしまいました。漢字って面白いですね。 「宛字」というのは、中国の文字である漢字を、来の日語にあてた場合をいいます。日には来、文字というものがなかったんですね。そこに古代、中国から漢字が入ってきて、それを借用しました。借りた漢字で日語をどう活用する

    この漢字読める?「宛字」は日本人の情緒の賜物 杉本つとむさん「宛字百景」|好書好日
  • 八坂書房:書籍詳細:江戸時代 翻訳語の世界

  • 漢字百珍(杉本つとむ著) 本の紹介 日本漢文の世界 kambun.jp

    著者(1927-)は、異体字研究の権威で、『異体字研究資料集成』(全20巻、雄山閣刊)の大著があります。そのほかにも、江戸時代の洋学や、戯作文学などについて広範な業績があります。洋学関係では、長崎通詞の学問的業績を再発見した名著『長崎通詞ものがたり―ことばと文化の翻訳者―』(創拓社)が必読です。 の内容: 漢文の古い版や写などを見ておりますと、現在普通に用いられている明朝体活字とはちがう形の漢字(=異体字)をたくさん目にします。明治以前の版には、明朝体のものもありますが、それらはむしろ少なく、書写体に類した楷書の字体で刻されたが多いのです。 ところが、明治時代になると、康煕字典体(明朝体の旧字体に相当する字体)が教育漢字として採用され、それ以外の異体字は次第に排除されるようになりました。戦後は「当用漢字」が制定され、学校では一点・一画にこだわるような漢字教育がなされたため、異体字

  • 井原西鶴と日本語の世界 杉本 つとむ(著) - 彩流社

    初版年月日 2012年5月 書店発売日 2012年5月24日 登録日 2011年12月15日 最終更新日 2014年12月19日 紹介 西鶴の言語宇宙を社会言語学的視点から考察し、西鶴文学の質に迫る!! 西鶴は、世界で一番偉い作家である。西欧の諸秀才も遠く及ばぬ。(太宰) 西鶴の語彙は、まさに現代語の源泉であり、近代日語史上、貴重な生活語の宝庫であることを論証する。また芭蕉に先駆けた俳諧師として、当時の民俗的歳時記と一般的言業(ことわざ)を巧みに取り入れ、近代日人の生活と思想、精神世界を見事に捉えた言語宇宙を確立したことを明らかにする。西鶴を社会言語学的視点で解明し、新たな研究方法を提示する著者畢生の西鶴論。 目次 Ⅰ西鶴を考察する視座   1西鶴の描いた十七世紀の人と社会  2西鶴と戯作執筆の意図  3西鶴と伊藤仁斎と遊女 Ⅱ西鶴、新文章の創始と方法   ○創作の秘訣 ○語り・咄し

    井原西鶴と日本語の世界 杉本 つとむ(著) - 彩流社
  • 日本における辞典と事典の歴史 - 作品メモランダム

    目下は、もっぱら二つのテーマを追跡しています。一つは、ロンドン王立協会について。もう一つは字典・辞典・事典の歴史。備忘録を兼ねて、手にしたなどのことを記してゆこうと思います。 ★杉つとむ『日語講座3 辞典・事典の世界』(桜楓社、1979/06、ISBN:B000J8G33G) 書の巻頭に見える「日の辞典・事典の歴史」は、タイトルの通りその歴史を辿り、概要を脳裏に描く上で大変有益です。主に江戸の終わり辺りまでを凝縮して論じています。 辞書は、その時代の文化や社会を言葉の面で反映する器のようなものでもあります。それだけに「辞典の編集・研究の跡をたどってみると、おのずから日文化質や構造を知ることができると思う。辞典は文化でありそのもっとも象徴的な存在である」(同書、まえがき)と言えましょう。 また、面白いことに辞書をいろいろ見てゆくと、各種の書物や辞書からの抜き書きを集めたもので

    日本における辞典と事典の歴史 - 作品メモランダム
  • 杉本つとむ『馬琴、滝沢瑣吉とその言語生活』 - 獨行如犀角

  • Amazon.co.jp: 文字史の構想: 杉村つとむ: 本

  • 『文字史の構想』 杉本つとむ (萱原書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 国語学者で語源と異体字の研究で著名な杉つとむ氏が多年にわたって書きためた文字学に関する論文をまとめたである。杉氏には欄でもとりあげた『漢字百珍』という好著があるが、文字学のは意外にも書がはじめてだそうである。 書は第Ⅰ篇「漢字・仮字の質を考える」と第Ⅱ篇「漢字はどう研究されたか」の二部にわかれる。 第Ⅰ篇「漢字・仮字の質を考える」は理論篇で、日における漢字受容史と異体字、宛字、仮名を考察した論文が集められている。 長年、文字を研究してきた碩学だけに興味深い事例がふんだんに登場し、貴重な図版も多数収録されていて勉強になったが、理論的考察となるとどうだろうか。著者には江戸の草学を紹介した『江戸の博物学者』というすぐれたがあるが、博物学的な観察こそが著者の領ではないかという気がする。 片仮名と平仮名がどう違うかを論じた「漢字周辺文字としての<かな>

    『文字史の構想』 杉本つとむ (萱原書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • おしいれのしたのひみつきち 異体字本二題

    神奈川県立図書館横浜市立中央図書館を梯子してきた。 で、計6冊ほど借りてきたのだけれどその中から2冊を。 異体字研究のオーソリティー・杉先生の作。 漢字研究者の立場から、厖大な資料をもとに「漢字は変化するものであり人口に膾炙するほどその貌を変える」という論を展開していらっしゃいます。 いわゆる「旧字体」と「新字体」の間でも「どうしてこれが同じ字?」と思うようなものがあるわけで(たとえば「體」と「体」のように)、それらに一定の解を与えるというのは素晴らしいことだと思います。 唯一点難を挙げるならば、「1画増減することはよくあること」と仰っているにもかかわらず「当用漢字で1画欠いた漢字は許せぬ」と仰るのは理が通らぬのでは、と思うのですが。 同じ「漢字は変化するものだ」という論でもこちらのは些か不満であります。 杉先生とは違い資料に拠ったわけでもなく、いくつかの用例から乱暴ともとれる論を

  • 実学としての博物学=本草学『江戸の博物学者たち/杉本つとむ』 - 裕's Object Relational World

    博物学というと何か趣味の世界という感じがしてしまいますが、江戸時代の博物学=草学は飢饉対策の重要な実学だったようですね。そもそも私たちは当たり前のように漢字表記の植物名を使っていますが、中国の漢字名の植物が日のどの植物に相当するかというところからそもそも草学ははじまったわけで、だから日中国で同じ漢字表記を使っていても指す植物が別などと言う事態が発生したりする。牧野富太郎博士が『紫陽花』は『あじさい』とは別だという趣旨の論文を書いていたりするそうです。 才人として知られる平賀源内も元は草学者だし、小野蘭山って人は知らなかったのですがなかなか面白い仕事をしているようです。 エリマキトカゲとかドラーク=オランダ語でドラゴンとか言う名前で紹介されたりしているのも面白いですね。いきなり漢字白文カナかな交じり文の引用20頁以上あったりして読みやすいではないのですが。江戸の博物学者たち (

    実学としての博物学=本草学『江戸の博物学者たち/杉本つとむ』 - 裕's Object Relational World
  • 『蘭学三昧』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    つとむ (2009年4月10日刊行,皓星社,iv + 533 pp., 体価格4,800円, ISBN:9784774404349 → 目次|版元ページ) 「蘭学」の新刊だし,著者は「杉つとむ」だし,おまけにとてもナイスな造だし(このご時世に「函入り」とは!),といういくつかの理由により,迷わずゲットしました.著者の傘寿記念とのことで,日における蘭学史に関するエッセイ集.500ページもあるをざっとブラウズしたかぎりでは,科学史・博物学史への言及もかなり多い.図版もたくさん載っていてきっとお買い得にちがいない. 『解体新書』の挿絵を描いた秋田蘭画派の小田野直武については書でも言及されている.彼の伝記:鷲尾厚『解体新書と小田野直武』(1980年5月1日刊行,翠楊社[郷土の研究1],ISBNなし/1039-04011-3736 → 目次|復刻:2006年8月刊行,無明舎出版,I

    『蘭学三昧』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
  • 『蘭学三昧』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek

    つとむ (2009年4月10日刊行,皓星社,iv + 533 pp., 体価格4,800円, ISBN:9784774404349 → 版元ページ) 【目次】 まえがき 1 鎖国の中の長崎とオランダ 9 木昌造を生み出した長崎通詞の世界 21 日蘭交流に貢献した阿蘭陀通詞 35 新井白石とその〈蘭語〉知識 —— 白石の蘭学は再評価すべきである 41 勝海舟とオランダ語力 59 近代医学教育の雄・緒方洪庵 69 蘭学者とその母 77 華岡青洲とその口授の書 87 洋学と翻訳 91 対談:西洋医学思想を『医戒』に学ぶ 103 〈付〉C・W・フーヘランドの『医戒』 日近代化を推進した外国人 129 「煮えきらない幽霊たち」 —— 登場人物とその史的背景 147 「峠の雲」 —— 幕末日の西洋医学事情 155 「ふるあめりかに袖はぬらさじ」(有吉佐和子作)の舞台、横浜英語通訳 163

    『蘭学三昧』 - leeswijzer: een nieuwe leeszaal van dagboek
  • 西洋人の日本語発見 杉本つとむ 著 講談社 | 一言語学徒のページ

    西洋人の日語発見 杉つとむ 著 講談社 著者 杉つとむ 出版社 講談社 定価 1,260円(税込み) 西洋人の鋭い観察眼と真摯な探究心 16世紀~19世紀、生きた日語の精緻な記録 1549年に来日したサヴィエル以降、ポルトガル・ロシア・オランダなどの人びとが、布教や交易、漂流民との交流等を通じて日語に触れた。彼らは、口語と文語の使い分けや敬語など複雑な構成の日語を、鋭い観察眼で分析し、精緻な辞書を作りあげた。それは、方言や俗語など当時の生きた日語の貴重な記録でもある。彼らの真摯な研究成果と、日語観・日人観を紹介する。 目次 第1章 吉利支丹の世紀と日語の世界 第2章 魯西亜人とその日語学 第3章 オランダ人とその日語学 第4章 J・J・ホフマンとその日語学 第5章 十九世紀ヨーロッパの東洋学者と日語学 第6章 幕末、宣教師と日語研究

    西洋人の日本語発見 杉本つとむ 著 講談社 | 一言語学徒のページ
  • http://news.livedoor.com/article/detail/3362411/

  • 『漢字百珍』 杉本つとむ (八坂書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 2006-10-22

    空が明らむといふ新しい(と思はれる)語形には違和感がある、自分なら明るむだ、とのこと。(p42) 「腹をくくる」「どまんなか」は元は関西弁。(p52) 「あっけらかん」は元は茫然自失の状態。さらに古くは「手持ちぶさた」かも知れない(朱楽管江が手持ちぶさたなのでわれのみひとりあけら管江と書きつけたエピソード)。(p130) 「ある程度の」といふ程の意味で「一定の〜」と使ふが、文字通りには「不変の」といふ意味なので、一定の成果など、人によっては違和感を覚える。(p160) 辞書の客観主義と規範主義とを調和させる考へ方として、著者は辞書=かがみ論を唱へてゐる。辞書は社会のことばを映す鏡であると同時に各人の言語行動の鑑であると。そして、まず鏡であって次に鑑となりうることに注意を促してゐる。(p202) 続きを読む 昭和47〜53年の論文集。 これまで論述してきたように、〈正字〉には二つの意味用法が

    2006-10-22
  • Diary / + PCC + / 『異体字とは何か』

    『異体字とは何か』 杉つとむによれば、漢字は不合理でありかなを〈發見〉しえたわれわれはその軛から脱すべきであるといふ(『異体字とは何か 日語講座I』秋櫻社、1982.11)。勿論私は「常用漢字は不徹底」と豪語するよくありし表音派の一人でもあつた杉に贊成はすまい。しかしそんじよそこらにない洞察の深さは派閥だけを見て否定する淺さに勝る。 私は表音派に一種の絶望を見てゐる。漢字は日の軛かと問うたら誰もがさうだと答へるのではなからうかとさへ思ふ。それが「研究すればするほど、漢字が将来とも日語の表記文字としてもっとも好ましいとは思われないと確信」させるのだらう。また、つきつめてしまふからこそ瑣末に思へることもたへられないのではないか。たとへば「(干禄辞書には)時には〈正〉が二つもあげられている。」(「正字と異体字」)といふのは、なににか目をつりあげんか、と不思議になり、「こうした規範書の出

  • http://homepage2.nifty.com/kanbun/books/sugimoto-kanjihyakuchin.htm

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