もう一件、「青空文庫」を頼りに宮島のこと。「寺田寅彦 千人針」の中の一文。 日清日露戦争には厳島(いつくしま)神社のしゃもじが流行したように思う。あれは「めしとる」という意味であったそうである。千人針にもついでに五銭白銅を縫付け「しせんを越える」というおまじないにする人もあるという話である。これも後世のために記録しておくべき史実の一つである。 これが昭和七年の文章。明治生まれでこの頃五十代、当然のことながら日清日露戦争をよく知る世代である。そんなに遠い昔の話ではないが、大正生まれの人にとっては近いような遠いような実感の湧きにくい出来事である。 むかし、小学生だった私は、あるとき「日露戦争二十五周年記念」と書いた粗末なビラを見た。この機会に往年の兵士よ集まれというほどのことが書いてあった。子供の私はながいことその前に立ちつくした。それまで私にとって東郷元帥も広瀬中佐も歴史中の人物だった。(略