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ブックマーク / trivial.hatenadiary.jp (31)

  • 日本ではなぜ女性が三蔵法師を演じるのか? - 一本足の蛸

    このCMをみて改めて思い出したのだが、日では「西遊記」の三蔵法師役は女性が演じるのが通例になっている。夏目雅子が演じた三蔵法師が当たり役だったから、というのがもっとも大きな理由だろう。記憶を辿ってみると、アニメ「悟空の大冒険」の三蔵法師の声は野沢那智があてていたし、人形劇「飛べ!孫悟空」はいかりや長介だった。ああ、三人とも故人ではないか! 昭和は遠くなりにけり。 調べてみると、三蔵法師役を女性が演じた例は夏目雅子以前にもあったようだ。 ちなみに「日で三蔵法師を女性が演じるようになったのはドラマで夏目雅子が三蔵法師を演じてから」と語られることがある。しかしこれは厳密には正しくなく、1953年のドラマ「少年西遊記」でも既に三蔵法師は笠間桐子という女性の子役が演じている。「女性が演じることが定着したのは夏目雅子の影響も大きい」といった程度の表現が正確なようだ。 夏目雅子以後ではテレビの連続ド

    日本ではなぜ女性が三蔵法師を演じるのか? - 一本足の蛸
  • ツイッターにありがちなこと - 一本足の蛸

    この文章をよんだときに、まず最初に「↓*1でさしているツイートはどのようなものだろう?」と疑問に感じた。そこで、さかのぼってみると、以下のながれがあることがわかった。 これら一連のツイートにつづいて冒頭で引用したツイートが投じられている。たしかにそのツイートはかなり飛躍した「結論」を当然のごとく主張しているので反発したくなるのだが、それ以前の3つのツイートをふまえてよめば、やや印象がことなるのではないだろうか。 しかし、このツイートへのブックマークのコメントをみたかぎりでは、漢字制限の問題に言及しているものはみあたらなかった。 別にそれがいけない、というわけではないが、せっかく「↓」をつかってそれ以前のツイートに注意を喚起しているのだから、ひとりやふたりは言及していてもよさそうなものなのに……とおもったのも事実だ。 なお、日語表記に漢字を使用することが結果として「学習コストをあげて、読み

    ツイッターにありがちなこと - 一本足の蛸
  • 消えていく言葉 - 一本足の蛸

    いつ、どこでだったのかは忘れたが、「縄を編む」という表現を見かけたことがある。一瞬、縄を使って何かを作る工程のことかと思ったのだが、前後の文脈からそうでないことがわかった。縄の原料である藁を「編んで」縄にする工程のことを指していたのだ。 それは「編む」のではなく「なう」だ。日語として間違っている。 とはいえ、日常生活で「なう」という動詞を用いる機会が非常に減っていて*1、そういう言葉があることを知らない人がいてもおかしくないだろう。「なう」を漢字で書けば「綯う」だが、「綯」は常用漢字に入っていない。 つい最近、ある小説*2を読んでいると、次のような一節があった。 「あの機械ですが、何なのかご存じないですか。見る限り農具小屋だと思うんですが、何に使う機械か知らなくて」 私も馴染みがあるわけではない。しかし、前の住人との折衝する中で話を聞いていた。 「ああ、古い脱穀機です。米を収穫したら、あ

    消えていく言葉 - 一本足の蛸
  • 文化はDNAに組み込まれていない - 一本足の蛸

    不思議な記事を読んだ。 キンカチョウ(英名はZebra Finch)は、通常はその複雑な求愛の歌を父親から習う。しかし独力でも、わずか数世代を経るだけで、自発的に発展させて同じ歌を歌うようになることがわかった。 【略】 Mitra氏の研究チームは、隔離された鳥が独自の集団を作ったときに何が起きるかを突き止めようとした。予想されたとおり、防音装置を施した箱の中で育てられた鳥たちは、耳障りな歌を歌うようになった。 続いて研究チームは、この隔離された鳥たちに、新しく孵化した幼鳥に対する「歌の教育」を行なわせた。その結果明らかになったのは、幼鳥たちが真似た歌は、少し調整が加えられて、野生の状態で聞かれる歌に近い形になっていたということだった。これらの幼鳥たちが成長して教える側になったとき、学ぶ側の鳥たちの歌でも引き続き同じことが起きた。少し調整されたのだ。 3世代から4世代を経ると、若いキンカチョ

    文化はDNAに組み込まれていない - 一本足の蛸
  • デザインの良し悪しを決めるのは本の売り上げじゃない - 一本足の蛸

    そもそもにおける「いいデザイン」とは何か。かっこいいデザインか。かわいいデザインか。読者の立場から見れば、それらはひとつの解答になりうるだろう。しかし、を1個の「商品」として考えると、答えはただ1つしかない。「売れるデザイン」だ。*1 は単なる「芸術品」ではない。そういう側面があるのは否定しないし、自分も読者の立場からはそういう側面を大事にしたいと思っているけれど、売る側=出版社にとっては何よりもまず「商品」だ。商品の価値を決めるのが「売れるか売れないか」であることは言うまでもない。そして、デザイナーにお金を払っているのは読者ではなく、売る側――出版社である。デザイナーに求められることは、売り手の意図を汲み、与えられた素材(イラスト)を、見たものが手に取りたくなるような形に加工すること。その結果「かっこいい」「かわいい」デザインができたとして、それはあくまで結果でしかない。 ただ「

    デザインの良し悪しを決めるのは本の売り上げじゃない - 一本足の蛸
  • 妊娠中のマラソンは愚挙か権利か? - 一本足の蛸

    「愚挙かつ権利」から「愚挙でなく権利でもない」まで4通りの場合分けが可能だろうから、「愚挙か権利か」という二者択一を暗示するような見出しは当はまずいのだが、そこはご容赦ください。 さて、 自己満足のためにマラソンをするのは全然構いませんが、妊娠中にマラソン及びマラソンに備えてトレーニングを積む事に果たして意義があるかどうかになります。別に法律で決まっていないとは思いますが、夫婦で望んで妊娠した女性は、健やかな子供を産むように務める責務ぐらいはあると考えています。自己満足と責務のどちらが重いかの価値判断が問われると考えています。 わざわざ妊娠7ヶ月でマラソンを行なうことで、お腹の赤ちゃんにどんな影響があるかを普通の感覚なら考えます。マラソン参加は言うまでもなく自発的なものであり、誰かに強制されたものではありません。自分が妊娠中であっても走りたいという欲望のためだけに参加し、走った事になりま

    妊娠中のマラソンは愚挙か権利か? - 一本足の蛸
  • かなと漢字で適用範囲が異なる言葉 - 一本足の蛸

    去年の締めくくりはラノベネタ三連発でかなり疲れたので、新春は軽い雑談から始めることにしよう。 やはり蕎麦と書きたいとは思う。というか、私にとって「そば」(orソバ)というのは、うどんも中国の麺もヴェトナムのフォーもパスタも、とにかく細長いべ物全てを包括する一般的なものだからだ。 【略】 逆に、さけと仮名で書くと日の清酒を指し、酒と漢字で書くと、アルコール飲料一般を指す。 うどんが「そば」に含まれる、という言語感覚はよくわからない。 「中華そば」や「沖縄そば」には全然違和感はないが、それはたとえば「西洋将棋」*1や「中国将棋」*2みたいなものだ。囲碁もまた「しょうぎ」(orショウギ)に含まれる、などと言われたら変だ。それと同じこと。 うどんはうどんだし、そばはそばだ。あと、ここには挙げられていないが、そうめんもそうめんであり、「そば」のうちに含まれるわけではない。主要な和麺を表す言葉は互

    かなと漢字で適用範囲が異なる言葉 - 一本足の蛸
  • 高度に発展した都市に住む人は郊外と山村の区別がつかない - 一本足の蛸

    地方都市の問題と限界集落の問題。 - うさたろう日記 はてな版。 地方都市の問題と限界集落の問題(その2) - うさたろう日記 はてな版。 昨年大いに流行した「限界集落」。そして、「限界集落」ほどではないけれど、そこそこ知られるようになってきた「コンパクトシティ」。このふたつの言葉は全然別の文脈から生まれてきたもので、来対比して論じるべきものではないのだが、最近どうも両者を同じ土台で論じる人が増えてきているような気がする。いや「論じる」と言えば聞こえはいいが、はなから結論は決まっている。「限界集落を維持するのにはコストがかかる。そんなことに余計な金を費やすより、集落に残った人を中心市街地に移住させて、コンパクトシティを目指すべきだ」という結論が。 全くばかげた主張だが、地方都市の規模とか、中心市街地と郊外の距離とか、平野部の農村地帯と山間の小集落の違いとか、そういった事柄について知識のな

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  • 表記の統一を禁ずるなかれ - 一本足の蛸

    表記を統一することなかれ。 - Something Orangeを読んで疑問点をいくつか。 そこで言及されているテキストに知性があるかないかを見分ける10のポイント - ハックルベリーに会いに行くでは、たとえば「莫迦」と「アホ」を併用するような統一感のなさを問題にしているのであって、ひとつの言葉の表記を場合によって変えることを問題視しているのではないように読める。 引用されている栗薫の文章では「人」は他人という意味で、「ひと」は人間という意味で用いられているように思われる。もしかしたら文章の美しさを重視しているのかもしれないが、素直に同音異義語を表記で区別したとも考えられる。より適切な例はなかったものか。 森鴎外の例では『舞姫 (集英社文庫)』にリンクを張っているので、そこからの引用だと思われる*1が、平成の文庫に明治の文豪の表記が忠実に継承されているかどうかは自明ではない。この例もあ

    表記の統一を禁ずるなかれ - 一本足の蛸
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/09/25
    「平成の文庫本に明治の文豪の表記が忠実に継承されているかどうかは自明ではない。この例もあまり適切ではないのではないか」
  • 外来語と漢字 - 一本足の蛸

    文化」「社会」「概念」「体系」「階級」……。くみあわせの文字をみても、熟語としての意味がさっぱりわからん、というものはあげていけばきりがありません。わざわざ漢字なんぞつかう必要はぜんぜんなかったわけです。「概念」なんてことば、いまだによく意味がわかりませんので使わないようにしているし、「社会」はなんとなくわかるような気がして使ってますけど、「社」と「会」の字の意味から理解しているわけではありません。だから表記は「しゃかい」か、もしくは「ソサイエティ」「ソシエテ」とかでもぜんぜんいいんじゃない? 第二種の方式は、漢語のことばの原意に改造を加え、西洋語の概念に適合させた訳語として使うものである。この方式を通して作られた訳語は非常に多い。たとえば革命・芸術・文化・文明・文学・封建・階級・国家・演説・民主・自由・経済・社会などはみなこれに属する。すでに述べたとおり、いくつかの漢語のことばは日

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  • 団塊の世代の平均年齢は毎年1歳ずつ上昇する - 一本足の蛸

    今度は東京独立 - REVの日記 @はてな経由ではてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - 404 Blog Not Found:日はヤバくても、東京はヤバくないかも経由ではてなブックマーク - はてなブックマーク - 404 Blog Not Found:日はヤバくても、東京はヤバくないかも経由ではてなブックマーク - 404 Blog Not Found:日はヤバくても、東京はヤバくないかも経由で404 Blog Not Found:日はヤバくても、東京はヤバくないかもに至る。長い旅路であった。 で、一読して仰天した。ええっ! お気づきだろうか。若い人口が、日の平均よりもずっと多いのだ。もちろん、これは他の道府県から若い人口を吸い上げている結果に他ならないが、理由はさておき、東京に関しては高齢化による衰退の懸念はずっと少ない。 この人、東京が急激に

    団塊の世代の平均年齢は毎年1歳ずつ上昇する - 一本足の蛸
  • 同時に10冊も読んでられるか! - 一同時に足の蛸

    は10冊同時に読め!―を読まない人はサルである!生き方に差がつく「超並列」読書術 (知的生きかた文庫) 作者: 成毛眞出版社/メーカー: 三笠書房発売日: 2008/01/21メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 426回この商品を含むブログ (256件) を見る昨日立ち寄った書店で読書術フェアをやっていて、押しつけがましく暑苦しい雰囲気のがたくさん並んでいたのだが、その中でもっとも電波的なタイトルだったのがこれだ。 中をぱらぱらと見ると、「は最後まで読む必要はない。たいていのは二、三ページ読めば十分だ」というようなことが書いてあった。もしかしたら若干ニュアンスが違っていたかもしれないが。 で、二、三ページ読んで「このはもういいや」と思い、棚に戻した。 おしまい。

    同時に10冊も読んでられるか! - 一同時に足の蛸
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/02/26
    私の知つてゐる讀書子は、本のタイトルと目次だけで十分と云つてゐた。
  • たくとにる - 一本足の蛸

    見出しはだいたい「『炊く』と『煮る』」という意味だが、「『煮く』と『煮る』」または「『焚く』と『煮る』」という含みもある。しかし常用漢字の音訓表には「煮」に「た・く」という訓はないし、「焚」はそもそも常用漢字ですらない。そこでこの記事では「たく」はすべてひらがなで書くこととした。釣り合いをとるために「煮る」もすべてひらがなで「にる」と書く。「にる」には「似る」という全然別の意味もあるが、混乱を避けるためこの記事では「似る」のほうは使わない。よって、以下の文中で「にる」と書いてあれば、安心して「煮る」と読んでいただいて結構だ。 さて、ここから題。 関西*1ではご飯をたいてべるほかに、野菜をたいたり、魚をたいたりすることもある。また肉もたく。果物をたくことはあまりない。 一方、関東*2でもご飯をたいてべることはあるが、一般に野菜や魚をたくことはない。かわりに野菜や魚はにてべる。 ……と

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  • 新年読み初め - 一本足の蛸

    昭和を騒がせた漢字たち―当用漢字の事件簿 (歴史文化ライブラリー 241) 作者: 円満字二郎出版社/メーカー: 吉川弘文館発売日: 2007/09/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 28回この商品を含むブログ (20件) を見る当の読み初めは『ささめきこと(1) 』だが、これは人から借りて読んですぐ返したので今手許にがないから読み返して感想を書くことができない。面白いマンガだったので自分で買ってもいいかなという気もするのだが、2巻で失速するようだと馬鹿らしいので、しばらく様子見。 さて、『昭和を騒がせた漢字たち』の話。 名著『人名用漢字の戦後史』の著者があの吉川弘文館から出したなのだから面白くないわけがない、と期待しつつ読んだのだが、事前の予想をはるかに上回る面白さだった。 福井県庁の掲示板に「福丼県」と書いてあるのを見た人が「フクドンブリケンとはけしからぬ!」と怒っ

    新年読み初め - 一本足の蛸
  • 現実とは何か? - 一本足の蛸

    私見では「現実とは何か?」という問いは無意味だ。この問いが無意味だというのは、問うことに意味がないということではなくて、問いが意味を持たないということだ。 正しい問いは、こうだ。「現実にそうであるということは、どうあることか?」こう問うことに意味があるかどうかは知らないが、この問いには意味がある。 この問いの答えは簡単だ。「現実にそうであるということは、そうであることだ」以上。補足すれば、「そうであるということは、現実にそうであるということだ」ということもできることが多い。 現実にいま目の前に電話がある。従って、いま目の前に電話がある。 いま目の前には電話がある。従って、現実にいま目の前に電話がある。 現実にいま目の前に電話がある。ここで、いま目の前に電話があるということのほかに、何らかの現実が別にあって、そのふたつがあわさって、現実にいま目の前に電話があるということになるのではない。現実

    現実とは何か? - 一本足の蛸
  • 哲学は難しい - 一本足の蛸

    大森荘蔵 -哲学の見 (再発見 日の哲学) 作者: 野矢茂樹出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/10/19メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 7人 クリック: 44回この商品を含むブログ (29件) を見るこれは非常にわかりやすく書かれただ。大森荘蔵の原典は『流れとよどみ―哲学断章』と『時間と自我』、あといくつかの論文しか読んだことがないが、少なくともそれらよりずっとわかりやすい。原典より解説書のほうがわかりやすいのは当たり前だろうと思う人もいるかもしれないが、大森荘蔵は極めて平易な文章を書く達人だから、それよりさらに平易な文章で彼の哲学の軌跡を追うのは並大抵のことではない。そう考えると、野矢茂樹というのは凄い文章家だな、とあらためて感心する。 たぶん、ふつうに日語の文章が読める人なら、誰でもこのに書かれている事柄は理解できるだろう。とはいえ、もちろん斜め読みやと

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  • この本にはもう巡り会えないかもしれないから、いつ読めるかわからないけど買っておこう - 一本足の蛸

    好きの人はたいてい積み人だ。積みを恥じる感覚を失ってしまった人もいる。そこまでいくと、もう人間としていかがなものかと思うのだが、積みを悔いつつも改めることができないのが読みの業であり、これはある程度やむを得ないと考えている。 ところが、世の中には不思議な人がいるもので、この人にはほとんど積みがないという。「だって、読めるあてがないは買いませんから(大意)」と平然という。いやそれは違うだろうだって書店でを見かけて明らかに今のスケジュールだと読めないのはわかっているけれどそれでもここでこのを見逃したら次に書店に来たときには売れてしまったあとでいや売れたのなら追加が入るかもしれないが売れないから返品されてしまったあとということもあるわけでそうするともう書店では入手できず版元に問い合わせてみたらああそのですかもう品切れですねえっ増刷?もちろんそんなの未定ですっていうか断裁したを増刷す

    この本にはもう巡り会えないかもしれないから、いつ読めるかわからないけど買っておこう - 一本足の蛸
  • 異世界の文字 - 一本足の蛸

    いま出ている『電撃「マ)王*111月号』から『狼と香辛料』の連載が始まった。このマンガの扉をみると「キャラクターデザイン:文倉十 作画:小梅けいと」と表示されているが、肝腎の原作者の名前がクレジットされていない。どうやら担当編集者の指定ミスのようだが、なんだか『狼と香辛料』の今後を暗示しているかのようでもある。 それはともかく、この号の巻頭ではちゃんと名前入りで原作者のインタビューが掲載されているが、そこで「アニメ、コミックには、先生ご自身が関わった部分はありますか?」という質問に対して次のように回答しているのが興味深い*2。 基的に小道具や細かいところのチェックが主です。たとえばですが、うっかり『狼と香辛料』の世界では使われていないアルファベットが混じったりしないようにとか、そういったレベルです。(後略) ここで『狼と香辛料』の原作者が「アルファベット」をどのような意味で用いているのか

    異世界の文字 - 一本足の蛸
  • ラベルはlabel、レーベルもlabel - 一本足の蛸

    ここを読む限り、ラベルは物理的なもしくは形而下的なもの、レーベルは心理的なもしくは形而上的なもののようですね。これを踏まえると、少なくとも出版社側はライトノベルを「電撃文庫や角川スニーカー文庫といったライトノベルレーベルから刊行されたもの、およびアニメ絵などで表紙をラベリングしたもの」と定義していそうですね。 へぇ、「ラベル」と「レーベル」が元は同じ言葉だとは知らなかった。 ところで、全然関係ないといえば関係ないが、関係あるといえば関係あるかもしれない話。 あるライトノベル作家が書いた中世ヨーロッパ風異世界ファンタジー*1のあるシーンで酒の名称として「ぶどう酒」と「ビール」が出てくるのに違和感を抱いた読者が、その作家のサイン会で「このシーンで『ワイン』ではなく『ぶどう酒』と書いているのは外来語を避けるためだと思うのですが、『麦酒』ではなく『ビール』とそのままにしているのはなぜですか?」と尋

    ラベルはlabel、レーベルもlabel - 一本足の蛸
  • 正字の迷宮 - 一本足の蛸

    何を血迷ったか今回のは正字旧かなで行くことに。こう言ってしまえば簡単だが、実際にやろうとすると、それはそれは恐ろしい茨の道なのである。巷で出ているほとんどのはたとえ旧かなであったも新字であるのを見れば、その恐ろしさの片鱗が理解できようではないか。 案の定、一考尊師の教えのごとくほとんどすべての漢字を漢和辞典で引く羽目に。 漢和辞典を何冊か開いて、同じ漢字についての説明を見てみると、ある字書が「○の字」としている字が別の字書では「正字」となっていたり、ある字書では「俗字」で別の字書は「譌字」であったりと、一定しないのです。一冊で「○は△の字」とあるのに、もう一冊では△の項に「○とも書く」とあり、さらに別の字書では○と△を別々に掲げていて異体字扱いをしていなかったりということもあります。

    正字の迷宮 - 一本足の蛸