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ブックマーク / digi-log.blogspot.com (66)

  • 自分の希望を叶えるには、まず人の有能感を満たすこと

    夜のファミレスにはなかなか帰らない客が来るものだ。僕は彼らから多くを学べた。 十代の頃、僕はファミレスでバイトをしていた。和でちょっと高めのファミレス。こう言えば、大体どの店か分かってくれるかもしれない。 僕は深夜枠で働いていた。閉店は2時。次の朝の大学のことも考えると一秒でも早く店を閉め、家に帰りたかった。 しかし、帰らない客というのも多くいた。 それは大概、五十過ぎのおっさんだった。 日酒を頼み、ちびりちびりと呑む。そして、ぽつりぽつりとつまみの注文を入れる。そして、いつも閉店時間よりも遅くに帰るのだ。 僕は若かった。僕は彼に「閉店時間は2時になっておりますので、宜しくお願いします」と言ったことがある。 失敗だった。 おっさんはぶちきれた。――俺は客だ。頼んだ酒を呑んでて何が悪い?――その夜は眠らせてもらえなかった。 こういうおっさんは一人ではなかった。 世の中にはいるものだ。深夜

  • 失敗しても動顚しなくなったとき、初めて人はそれが出来るようになる

    あるトラブルと思えそうな事態が起きたとき、人の反応は二つです。つまり、「まいったな」と思うか、別になんとも思わずに対処するかです。 言うまでも無く「弱ったな」と思わず平然と対処できる人の方が問題を解決できます。トラブルで混乱している人は能力があったとしても、混乱してしまったり、逃げ出したりしてしまうのです。 人生論でよく読む話ですが、トラブルが起きたときにも「なんだ。別に困ったことなんてないじゃないか」と思えたときに、人は次のステップに行けるという話があります。そして、平然とその課題をクリアできるという話です。だから、難題が降りかかってきても、それは難題の前で平然とできるように成長するチャンスと思って取り組めばよいということです。 しかし、これはまさに言うは易し行うは難しです。僕はやっぱり大したことないことで右往左往してしまうものです。 さて、この話を考えていると、僕は自転車に乗れるように

  • 日々の食事の済ませ方: ドイツ風・日本風

    最近、久々に自炊をしている。 自慢をするほどでもないが、僕は自炊が苦にならない。というか、これはやり方というか思想の問題であり、誰でもある程度のバラエティーがあり、栄養価のある事を、安価にしかも簡単に行うことができるのだと思う。 ちなみに、僕は大学時代の前半である十台に大学の寮に住んでいた。そこで知り合ったメキシコ人やドイツ人は大の親友であり、生活でも影響を受けた。特にドイツ人の生活力、規律は感動することばかりであり、大いに参考になった。 そこで、今回は和風とドイツ人風の二つを紹介する。試してみて欲しい。 作りながらべる自炊の場合、大事なことは料理をするのではないと思うことである。料理趣味の人はいざ知らず、キッチンでごちゃごちゃとやるのは面倒なことが多い。僕は料理の時間はほぼゼロで事を済ませていた。 どうするかというと卓の上で作りながらべることにしている。場合によってはテレビ

  • 風呂敷を使おう エコバッグふろしき包み

    私は懐古趣味者ではないのだが、風呂敷ってのはフツーに便利だと思う。 風呂敷は大概のものを持ち運べる。通常、持ち運びに困る十冊程度のだろうが、二、三の酒だろうが持ち運べる。 しかも、使ってない風呂敷はポケットに収まってしまう。図書館に行くときに手ぶらで行っても十冊のを安心して持ち帰れるのである。何はなくとも風呂敷をポケットに入れておけば、いれものに困ることはないのだ。 で、包み方なのだが、この「エコふろしきバッグ包み」がお勧めである。 包み方も簡単である。要は取っ手を作り、中身を入れるるだけである。これだけで、問題なくモノが運べる。 そして、見た目も割りにお洒落である。私はお洒落とかに無縁なおっさんなのだが、女の子受けがいいのは感じている。で、なんとなくエコな人になる。別に悪い気はしない。 ちなみに、一般の方は十冊もを持ち歩かないのかもしれないが、普通、というのは十冊くらい読まない

    風呂敷を使おう エコバッグふろしき包み
  • 「明治の文豪」はまさに今こそ読むべきだ

    目下ストレートに答えておきたい問題があります。しかし残念ながら、それはまだ今の私の手には余る作業です。そこで、それは置いておいて、少し回り道を書いておきます(昨晩、水村美苗『日語が滅びるとき』買ってきたので書くかもしれません)。 この文書で私が言いたいことは、明治の文豪はまさに今、読むに足る面白さを提供しているということです。 危機から脱し続けた日グローバリゼーションが進行しつつある現在、私たち日人は世界的な金融と IT の波に飲み込まれるかのようです。昭和という時代を通じて国民を守ってきた国境は、その役目を終えつつあるかように見えます。日の没落を前にして、私たちは底知れぬ恐怖と危機感に襲われています。 これを黒船来航から明治維新に喩える人があります。また先の対戦の敗戦に喩える人もありましょう。枠組みは同じです。欧米は巨大であり、その前に日はあまりに弱く、先が見えなかったのです。

  • 人付き合いについて、もう一言

    もう一つ言いたいことがあります。いや、当はいくらでもあるんですけど、よく「馬鹿と同じ土俵に上がるな」的なアドヴァイスってありますよね? 「低レヴェルなやつと向き合うと、同じレヴェルになる」とかなんとか。 あれ嘘です。ていうか間違いです。テレビの見過ぎです。 真っ向から取り組むか、全力で逃げるかテレビとかだとさ、やな奴に囲まれても、そいつらと取り合わないで超然とした態度を取っていると、最後には見直されて仲良くなったりするじゃないですか。途中でイイトコ見つけちゃったり、逆に努力に感動されちゃったりして。 そんなことありえないです。いや、そういう態度を、ある時点での戦略に取り入れるのは結構ですが、筋は「真っ向から取り組む」か「全力で逃げる」か、です。 「馬鹿は取り合わないでいよう」は通用しない学校の苛めとかありましたよね? そういう時「ああ、苛める奴はレベルが低いんだ、取り合わないようにしよ

  • 京都大学 河原達也教授の音声認識がもの凄かった

    去る10月26日、NHK教育テレビの「ろうを生きる 難聴を生きる」を偶然みました。そこでは、京都大学の河原達也 教授による「音声認識技術のノートテークへの適用」が紹介されていました。河原先生が話すと即座に音声認識されてスクリーンに文字が表示されるのですが、驚いたのはその認識精度の高さでした。全く普通の話し方で、見たところ完璧に認識されていたのです。 音声認識技術で、聾者が授業に参加できる 「ノートテイク (Note-take)」とは「大学などでの講義で聞こえる人が聞こえない学生の隣に座りノートを取ること」だそうです。聾者にとっては聴覚情報は摂取不能ですから、即座に視覚情報に変換することで、リアルタイム性を損ねることなく講義に参加できるというのでしょう。ただし、この変換を人間が行うのはコストが掛かる筈です。だから、マシンで行いたいというコンテクストでしょう。 講義の音声情報を文字情報に変換す

  • Microsoft Natural Ergonomic Keyboard 4000 は本当に手首の負担を軽くする

    このところキーボード入力が多くて、ストレスが溜まりまくってました。 そんなある日のこと。手首が痛いんです。ええ両方。でも打鍵はしなければなりません。そこで「新しい PC 買うかあ!」と思って電気屋に行きまして、今回紹介する「Microsoft Natural Ergonomic Keyboard 4000 (B2M-00010)」に出会い、即座に購入してきました。打鍵の多い人にホントにおすすめのキーボードです。 このキーボード、見た目はかなり不思議です。 キーボードの真ん中から左右に分かれていて、それが「ハの字」になっています。キーも人差し指が高くなるように湾曲しています。中でも一番不思議に感じたのは、手首の辺りが一番高くなっていて向こう側が低くなってこと。つまり、普通のキーボードとは逆の傾斜をしているんですね。 その高くなった手首を置く所は合皮のクッションがあります。それが皮のような肌触

    Microsoft Natural Ergonomic Keyboard 4000 は本当に手首の負担を軽くする
  • ベンヤミンの執筆作法

    Marginal Revolutionでヴァルター・ベンヤミンの執筆のコツが紹介されていたので、試しに訳してみた。ハンナ・アーレントは、彼を homme de lettres (文の人)と呼んだ。そんな彼の言葉は、文章を書く人の良いヒントになると思う。 I. Anyone intending to embark on a major work should be lenient with himself and, having completed a stint, deny himself nothing that will not prejudice the next. I. 大きな仕事にとりかかるつもりの人は、自分自身に寛大であるべきで、ある期間を完了したら、その次に対して偏見を抱かせないものは否定しないこと[偏見を作ってダメにしてしまうもの以外は受け入れること]。 II. Talk

  • ケータイやワープロで日本語はどういう影響を受けるのか

    私達は日々、携帯電話やコンピュータを利用している。このような道具を使って文章書くという言葉私たちの日語の運用、ひいては思考というものに、変化を与える可能性はあるのか。またあるとすれば、それはどのような変化だろうか。 ひとまず、この問いに関連しそうな情報をまとめておく。 私はここでいたずらにテクノロジー恐怖論を唱えたいのではない。テクノロジーは便利にもなれば、不便利にもなりえる。あくまで使い方の問題であり、どのように発展させていくかという問題だ。そうした全体を考え、テクノロジーの未来を考える上でも、こうした視点は欠かせないと思う。 それに以下の情報が「正しい」のかすら分からない。ただ考え始めるきっかけにはなるかもしれない。少なくとも数人の人が「何かが起きている」とは感じている。その「何か」を知るよすがにはなろう。もちろん、その考える「方向」すら「正しい」か分からないが。 タイプ入力の特徴

  • 電子書籍端末(ebookリーダ)がネットの将来にもたらすもの

    先日 Amazonkindleアメリカで爆発的な人気の一方で、日ではソニーと松下が電子書籍端末事業から撤退することについて雑感を書いたが(参照)。電子書籍端末(ebookリーダ)の普及は私たちの生活に大きな影響を与えるものだと考えている。ここではその期待をリストアップしてみた。 「ネット短文」という悪循環から逃れられる。ネット短文の悪循環とは、ネットで短文しか読みにくいことで、次第にからネットにシフトした読者は長文を把握する能力を消失してゆき、更に短文しか読まなくなってゆき、同時に書き手も長文作成能力を失うという現象のこと。以前には印刷と簡易製でこの問題の解決を考えた が、電子書籍の普及はこの問題を解決するだろう。(ちなみに、文字数と文書の種類については 文章の文字数と時間の関係 を参照)。 ネットからダイレクトに著作権の切れたテキストを読むことが一般化する。もう漱石や太宰

  • 電子書籍端末普及の日米の差について

    ソニーと松下が電子書籍端末事業から撤退するらしい。日では専用端末による電子書籍は流行らず、その間に携帯電話向けの電子書籍市場が成長したということらしい。 一方で、米国ではアマゾンの端末 Kindle が爆発的な人気とも聞く。3月には 供給が追いつかないことについて謝罪文を掲載していた。高価で重い 大学の講義用のテキストがオープンソース化されているという動向もあるらしい。こうしたオープンソースのテキストを読むための端末としても、電子書籍リーダーの需要は今後ますます高まることと思う。 この日米の差はなんだろうか。 ソニーや松下の端末とアマゾンのそれとにそれほどに大きな差があったのだろうか。私はそうは思わない。実物をきちんと見たわけでもないのだが、写真やブログの記事を眺めた限りでは、ものとしてはソニーの製品の方が優れていたように感じる(ちなみに私は大のソニー嫌いである)。少なくとも Sony

  • プロティノスは龍樹に会おうとしていた

    以前からプロティノスは華厳というか仏教に近いと感じていたが、先日なにげなく高校時代に買ったをパラパラしていたらこんな文にぶつかった。 プロティノスは三十九歳の年に、ローマ皇帝ドルディアヌスのペルシャ遠征に加わった。彼はペルシャに入ったら、すぐインドに赴くつもりであったらしい。なぜインドに行きたがったかというと、その頃インドには、仏教の大哲学者龍樹(ナーガールジュナ)が九十幾つかで生きていたからである。(紀野一義『「般若心経」を読む』p.97) プロティノス(Plotinos 205年? - 270年)は、新プラトン主義(ネオプラトニズム)の創始者といわれる哲学者で、万物は究極の根源「ト・ヘン(一者)」から流出した「ヌース(理性)」の働きであるという流出説と、己の身体をも放下したト・ヘンへの神秘的合一としての「エクスタシス(脱我)」の説が有名。 彼の哲学はアウグスティヌスにも影響を与え、キ

  • ジョン・トッド『自分を鍛える』

    1800年生まれの著者が語る『自分を鍛える』は、古めかしい精神が好きな人にはたまらないだと思う。人格とかいう古くさい言葉にピンとくる人にとってはちょうどよいと思う。私の中学生の頃からの愛読書でもある。 世の中には様々な自己啓発書がある。テンションを上げたいとき、誰かに叱って欲しいとき、人生に迷っている時などに、そうしたが手にとられる。 コンピュータの小技はさておき、根的には人間の暮らしや営みは変わらないので、人間関係や自己管理の問題に全ては集約してゆく。そして最終的には「優れた人格」を形成するということになってゆき、よい人格とは「よい習慣」を身につけるということになる。 トッドの唱える人物像は、以下のような言葉に端的に表われている。 何事にせよ頭角を表す人物というのは、最初に慎重に検討を重ね、それからしっかりと決意を固めるや、断固たる忍耐心を持っておのれの目標に邁進し、脆弱な精神力の

    ジョン・トッド『自分を鍛える』
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/05/21
    「何か大きなもの」
  • 思考力を鍛える読書術(1) 一つの問題への並列読書法

    読書は思考の力を向上させる営みであるべきだと思うが、漫然と読んでいるばかりでは著者に説得されてしまいがちである。一つのトピックに答える複数の議論を吟味するシントピカルな読書が、思考力を鍛える上では有効なのだと、最近になってやっと気付いた。 自己に潜在する欺瞞を見抜く難しさ 私はよく詐術に欺かれていた自分に気づく。 具体的には、自分が無意識に思い込んでいた判断の根拠が、 単に欺瞞でしかなかったことに気づくのである。 自分の外にある欺瞞を見抜くのは私にも容易いと思う。 しかし、自分にとってすら当然になった欺瞞を見抜くのは難しい。 無意識に刷り込まれている迷信や価値観、歴史館が私にはあり、 それは私の思考の一部になっていて、 そこを批判されると感情的になってしまう。 無意識に己に刷り込まれた詐術を見ぬくには物事を 批判的かつメタに捉える必要がある。 具体的には、ある争点に対しての判断の枠組みを明

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/05/13
    「人の考えた思考を導入するだけでは知的であるとは言えない。考える力、懐疑の力、欺瞞を見抜く力は養えない/自分は本との向き合い方を間違っていたようにも感じる」
  • 技術の支配 進歩の虚しさ

    道具の手応え 道具。それは質的に《身体》の延長である。それは手応えの内に私に握られる。手応え。それは手に応える。道具は手に握られつつ、手に応える。手は握りつつ、道具に握られる。そうして延長される《身体》。完全なる把みと握り ── つまり《把握》 ── の手応え。それが道具である。 道具がうまく使えるということはコツを押さえるということである。コツとは《骨》に他ならず、その芯=心を押さえるということである。それは無意識な《手探り》を通してのみ把握できるものである。エチュードは道具を覚えるのに役立たぬとしたら、それが手探りを残していない時である。 技術の気配 一方、技術に《手応え》はない。《技術》とは個別の経験の積み重ねの帰納による、一つの《論理》であり《制度》である。それは個別の経験を集積しつつ、利益と興味の下に平均化する。人の《なぜ》の問いは内部において無効だ。人の問いは《いかに》に集約

  • 文体形成とテクノロジー

    手書きもパソコンも関係ないという意見がある。どちらも同じ文書が出てくるのだという。 それはある意味でそうなのだろう。文体にたいして特に意識のない人、あるいは既に自分の文体が確立している人は、手書きであれワープロであれ関係ないのかもしれない。この点に僕は触れない。 しかし、文体の確立過程をパソコンで行った者はそれが分かる気がする。あるいは最初の創作をケータイで行った者にも言えることだ。彼らの文章からはカタカタという音が聴こえてこないだろうか。例えば、僕はある芥川賞作家の文章を読むと不意に IME の変換ウィンドウが目の前に見える気がする。あるいは、いくつかのライトノベルはワードの画面がちらついてしまったり、ケータイのボタンの触感が浮かんでしまったりする。 これは、ただの妄想だろうか。恐らく妄想だろう。その作家がパソコンで文書を書いているかどうかを僕は知らない。もしかしたら手書きなのかもしれな

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/05/06
    「最近の何人かの《文藝》は悪戯を感じる。悪戯にはやっていいものと悪いものがある。これは人を騙しおおす可能性があるので、やらないほうがいい悪戯だと思う」
  • オリンピックとナショナリズムへの嫌悪 | digi-log

    Tuesday, April 29, 2008 - 「社会と力」 オリンピックとナショナリズムへの嫌悪 オリンピックは「民族の祭典」なのか。国家の威信が内外に知らしめる場だったのだろうか。スポーツという国家を超えた共通の人類文化による「平和の祭典」、つまりは国家を超えた世界市民の祭典じゃなかったのだろうか。 分かっている。現実はそうではない。だから私はオリンピックは嫌いだし、そうした欺瞞の祭典に興味はない。だから私はオリンピックを軽蔑する。公表することもないことだが、現在の正直な心情を少しだけログしておく。 ナショナリズムとメディアのセンセーショナリズム オリンピックはナショナリズムの高揚であり、メディアはそれに追随し《大営報道》を始める。それが更にナショナリズムをあおり、《敵対国家》への不信感や憎しみを煽るという循環を始める。 私はこうしたオリンピックを好まない。つまりは選手の名前も覚

  • ディオゲネス 僕が一番話したい人

    天国で話ができるなら、僕はディオゲネスと話したい。キリストや仏陀を差し置いてだ。樽の中のディオゲネス、全ての権威を疎み、何も持たず樽の中に住んでいた紀元前4世紀のアテネの哲学者、両替商から贋金作り、経理の能力を持つ異色の人間だ。 僕は彼にこう訊きたい。「あなたにとってお金とはなんですか?」「誰かを助けたいとき、それも明らかにお金で助けられるとき、あなたはそうして無為に暮らしていることを悔やんだりはしませんか?」「あなたにとって愛、特に家族愛や友情とは何ですか?」 何で生きるか。この問いへの一つの答に「大切な人がいるから」「助けたいから」というのがある。大概は家族であるだろうし、共に戦っている友人であるかもしれない。彼らを見捨てられない。自分が生きていることが彼らの力となっている。こういう意識が人を生きさせる。そしてそれは「働く」「稼ぐ」という言葉へと結びついてゆく。 「なぜ働くか」という問

  • 健康に関して「もっと早くに知っておけば」と思った5つのこと

    健康と美容には、ちょっとした意識を持つだけで十分だ。最近そう感じるようになった。以前に 最近の心得 で書いたことを中心に、身体を健康に保つ上での注意点をまとめてみた。 時間がない? 大丈夫。時間を使うようなことはここでは薦めていない。 (1) 姿勢と呼吸を意識するだけで健康・美容に効果がある。 一番簡単で効果が大きいダイエット・美容法は、姿勢を良くすることだと思う。姿勢や歩き方は人の見た目の印象に無意識的に強い影響を与えているし、よい姿勢と深い呼吸は血流をよくし、無駄な肉を取り肌と体を美しくする。 意識を持つだけでも十分効果がある。下腹部に力を込めて、胃の辺りと項を伸ばすようにすればいい。また、呼吸を深くすると体と心の緊張は取れやすい。また、日頃から自分の呼吸に意識を向ける習慣をつけるだけで、呼吸は深く穏やかなものになり効果が現れる。 更に姿勢や呼吸をよくするためにはヨーガが一番だと思う。