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ブックマーク / qfwfq.hatenablog.com (98)

  • もう一つの「素面の告白」――『榛地和装本 終篇』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    藤田三男さんの『榛地和装 終篇』の面白いのは、これがこの手練の編集者の一種の自伝になっているところにある。こう書くと首を傾げる読者もいるかもしれない。これは文藝編集者の文壇回想録の一種ではないかと。むろん一面ではそうに違いないけれども、それではこのの表向きの表情しか捉えたことにならない。もう一面の、つつましやかに語られた「『素面』の『告白』」(これは三島由紀夫を論じた文のタイトルだ)が、このに陰翳をあたえ、類書と異なる奥行きをあたえているのである。 いそいで附け加えると、それは「告白」というような大仰なものではない。世間話のついでにふと洩らした来し方の断片、いわば人生の「吐息」(ブニュエル)のようなものである。岩素白や浅見淵や日夏耿之介やについて書かれた文章にふと覗かせる「素面」についてここではふれない。中仕切りのようにそっと挿し挟まれた数篇の随筆についてあらずもがなの感想を述べて

    もう一つの「素面の告白」――『榛地和装本 終篇』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 羊男は電子書籍の夢を見るか - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    『1Q84 BOOK3』発売日の4月16日朝、会社の隣りのビルにある小さな書店で一冊購入してから出社した。店内にまだ客はいなかった。「たくさん入荷しましたか」と問うと、レジの店長は「実績に応じて割当てられるので、うちじゃそれほど入りません」と苦笑しながら答えた。それでも十冊ほどは積み上げてあったろうか。前日の夜、都心では零時を過ぎて発売を始めた書店もあったという。の発売日に行列ができたのは『ハリー・ポッター』以来だろう。 4月22日の朝日新聞朝刊に、編集委員の佐久間文子さんがこの「深夜の行列」にふれた記事を書いていた。「明け方まで第3巻を読みながら、人ととの関係を考えていた」と佐久間氏は書く。「電子書籍を読むための端末が開発され、書籍の電子化が進められているいまは、グーテンベルク革命以来とも言われる大きな転換期にある」と。 《電子書籍なら新刊も希少な古も同じように手に入り原理的には品

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  • 「リア家の人々」――文体の人、橋本治(その2) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    治という人は、文芸評論家などにとっては扱いに困るやっかいな小説家なのだろう。たとえば小林秀雄や三島由紀夫なら、著作は膨大であるにしても評論家や小説家としての軌跡を辿ることはそれほど困難な作業ではない。だが、大学在学中にイラストレーターとして脚光を浴び、「桃尻娘」という一風変わった小説でデビューしたこの小説家は、小説だけにとどまらず、枕草子や源氏物語や平家物語といった古典の再話をするわ、社会時評や宗教論のを出すわ、あまつさえ少女まんがや歌舞伎や映画や歌謡曲や美術や編み物のを出すわで、トータルとしての「橋治」を論じることはとうてい誰の手にも負えなかったのである。それゆえに、橋治はいうならば「色物」として作家の埒外に置かれてきたのだし、だれもまともに橋治の小説を論じようとしなかった。だから『生きる歓び』『つばめの来る日』『蝶のゆくえ』といった短篇小説集の文庫版解説も橋治自身が書か

    「リア家の人々」――文体の人、橋本治(その2) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 文体の人、橋本治 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    紀伊國屋書店が出している「scripta」で、斎藤美奈子が橋治の『桃尻娘』について書いている(連載「中古典ノスヽメ」第8回)。これはネットで読むことができる*1。 《『桃尻娘』は「小説現代新人賞」の佳作に入選した(受賞作ではなかったのだ)、橋治、二九歳のデビュー作である。単行の形で出版されたのは一九七八年。この小説が何より衝撃的だったのは、全編これ、女子高生の喋り言葉で書かれていたことだろう。書き出しから、この飛ばし方である。 〈大きな声じゃ言えないけど、あたし、この頃お酒っておいしいなって思うの。黙っててよ、一応ヤバイんだから〉、〈官能の極致、なーンちゃって、うっかりすると止められなくなっちゃうワ。どうしよう、アル中なんかになっちゃったら。ウーッ、おぞましい。やだわ、女のアル中なんか〉 三〇年前には「ぶっとんでいる」と感じた桃尻語(とはこういう言葉づかいのこと)も、しかしいまとなっ

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  • 人は死んで文を残す - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    追悼文を読むのが好きだ。とりわけ作家を追悼した文章に目がない。先頃編集をした随筆集(敬愛する編集者が丹精を籠めて書かれたもの)にも数篇の追悼文が収められてい、いずれも一読忘れがたい余韻を残す。それをいうなら追悼と銘打っていない文章でさえ、和田芳恵や山健吉や三島由紀夫やについて書かれたものなどはおのずと追悼の意味合いを帯びて胸を打たれる。文芸編集者の文壇回顧録のたぐいは少なからず読んだが、それらとこのとが一線を劃するのは対象への愛情の深さによるのだろう。知られざるエピソードを語るさいにも著者の筆致はこのうえなく抑制がきいて下世話に堕することはない。好いになったと思う。近々書店に並ぶだろう。 頃日、一冊の追悼文集を拾い読みしていた。『水晶の死』というA5判500頁を超す大冊。「一九八〇年代追悼文集」の副題どおり、1981年から89年までに亡くなった五十余名の作家たちに捧げられた百五十篇以

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  • あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    1月27日、サリンジャーが死んだ。享年91。 村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳したのが、つい2、3年前と思っていたが、もう7年前になる。このところ、わたしの身辺ではなぜか3〜4か月ぐらいで1年になる。デフレだかインフレだか知らないが、この傾向は年々加速している。いずれ1年前の出来事を昨日のことのように思いなすだろう。そして、昨日のことは……きれいさっぱり忘れている。はやくそんな日がこないものか。 なにか書こうという気にならないので「2、3年前」に雑誌に書いた文章を埃をはらって掲げておく。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の刊行にあわせて紹介記事のようなものを、という依頼で書いたものだ。紹介記事の文体になっているのがおかしい。野崎孝訳の文体を模倣して書いた戯文とあわせて1頁の記事。掲載時に誌面のスペースにあわせてやや短縮したが、ここではオリジナル原稿をアップする。掲載誌も昨年休

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  • 詞華集顛末記――承前 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    前回のつづき(もう一週間たったのね。まったくもって光陰矢の如しである)。 さて、もう十五年ほども前、いまとは別の出版社に勤めていたころのことである。わたしは前年の春から半ば自ら志願したかたちで京都の社に転勤していた。ある日、呼ばれて社長室へ赴くと、社長は一冊のを手にこういった。 「これで企画を考えてほしいねん」 社長が差しだしたは、ほるぷ出版が出していた近代文学館の名著復刻全集の別巻だった。いまでも古屋でよく見かけるが(わたしも数冊もっている)、近代文学史における折紙つきの名作を初版のままの姿で復刻したシリーズの作品解題の一冊である。社長はその復刻全集を一揃い家蔵していると嬉しそうにいった。 「これ使こて**に出す企画を考えてほしいんや」 **は、大阪社がある大手の通販会社で、主として若い女性を対象に独自に開発したさまざまな雑貨品などの頒布を行なっていた。 社長は進取の気性に富

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  • 小麦畑を渡る風 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ジョージ・スタイナーは八十歳を目前にしてあたかも自らの仕事の総決算であるとでもいうように、書こうとして実現しなかった七冊のについての試論を一冊のにまとめた。『私の書かなかった』My Unwritten Books *1と題されたその書物にスタイナーは簡潔な序文を附している。書かれざる書物は成し終えた仕事に影のようにつきまとう、と。「重要だったかもしれないのは書かれざる書物なのだ。それはよりよく失敗することを可能にしたかもしれないからだ。あるいはそうでなかったかもしれない。」 こんなささやかなブログだが、わたしも書こうとしてうまくゆかずに破棄したことが幾度もある。スタイナーを真似るわけではないけれども、うまく思考の道筋が見つけられずに抛ったままになってしまっていたある「問題」についてここに書いておきたい。 岩波の「図書」2009年2月号に今枝由郎「情けは人の……」というエッセイが掲載さ

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  • 少し距離をおいて――喪失と哀悼 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    「小津の映画は、つねに最小限の方法をもって、同じような人々の同じ物語を、同じ街東京を舞台に物語る。彼の四十余年にわたる作品史は、日の生活の変貌の記録である。描かれるのは、日の家庭の緩慢な崩壊と、国民のアイデンティティの衰退だ。だが、進歩や西欧文化の影響への批判や軽蔑によってではない。少し距離をおいて、失われたものを懐かしみ悼みながら物語るのだ」 ――ヴィム・ヴェンダース『東京画』 ヴェンダースはドキュメンタリー映画『東京画』を撮影するために、キャメラをかついで東京を訪れる。1983年のことだ。そこには小津の映画に現れる東京はすでにない。そんなことはわかりきったことだ。むろんヴェンダースにとっても。ヴェンダースが探し求めているものは、かつての東京の面影ではない。小津の映像にあらわれる何ものかだ。彼はそれを「真実」(字幕)という言葉で表現する。わたしなら「リアル」というだろう。 ヴェンダー

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  • 人衆ければ即ち狼を食らう・補遺 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    さて、前々回「人衆ければ即ち狼をらう――森鴎外と久保忠夫」(id:qfwfq:20091108)の末尾に、わたしは《仙台のバスではいまも「ヤギヤマイレグチ」と言ったり、デパートではいまも「缶入れですね」とか「十箇入れ」ですね、と言っているのだろうか。こんど久保先生にお尋ねしてみようと思う》と書いた。折りあって先生にお尋ねしたところ、最近は外出することも間遠になりデパートにはとんと無沙汰をしている、バスの運転手の誰もが「イレグチ」などとアナウンスしているのではあるまいが、との由であった。むろん、これは「iはeに変化しやすい」ということの卑近な一例にすぎぬのであって、仙台のバスやデパートの従業員の言葉づかいが現在どうあれ、草いきり→草いきれの変化に関する仮説は有効性を失しない。 そのことよりも、馬場孤蝶が「更に衰へざりし鴎外大人」で書いていた東京日日新聞の国詩募集に関して、貴重な御教示を賜っ

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  • 人衆ければ即ち狼を食らう――森鴎外と久保忠夫 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    『明治文壇の人々』から馬場孤蝶の回想をひとつ抜書きすると――。 大正七、八年頃のこと、東京日日新聞で国詩を募集した。当選したある詩のなかに「……するより仕方がない」という句があった(国詩とは一般に詩歌とくに和歌を指すが、ここでは何の詩型かは不明)。銓衡の委員長格を務めていた森鴎外は、これは「下品な書生言葉」であり「……するより外仕方がない」と改めるべきである、と異をとなえた。むろん鴎外大人の仰せのとおりであるけれども、「……するより仕方がない」もいまや慣用となっているので敢えて改めるまでもありますまい、と孤蝶がいうと、鴎外は同意せず、それが誤りであると熱心に説き募った。孤蝶はどちらでもよいことと思いそれ以上主張しなかったが、あとで校正刷りを見ると字句に添削は施されず、「……するより仕方がない」のままだった。孤蝶は鴎外の遠慮深さに敬服したという(「更に衰へざりし鴎外大人」)。 森鴎外は文久二

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  • 「わかりやすさ」への配慮 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    「渡り鳥は、南へ向かふときでも北へ向かふときでも、秋でも春でも、なるべく町なかを避けたルートを選ぶものだ。鳥の群れは、空の高みから縞模様を描くこんもりとした田畑を横切り、森の縁伝ひに飛んでゐたかと思ふと、今度は川の彎曲や谷間に沿つて飛んでみたり目に見えぬ風の道を通り抜けたりする。だが、町の鎖状に連なつてゐる家々の屋根が見えてくると、途端に大きく旋回して避けてゆくのである。」 上に掲げた文章を薄田泣菫の随筆の一節である、といっても訝しむひとはいないだろう。ちなみに以下の文章と読みくらべていただきたい。 「空の高みから小石でも投げたやうに、だしぬけに二羽の小鳥が下りて来た。そしてそこらの立樹の枝にはとまらうともしないで、いきなり地面に飛下りざま、互に後になり先になりして、樹陰の湿地をあさり歩いてゐる。薄黄色の羽をして、急ぎ脚に歩く度に、小刻みに長い尻尾を振つてゐるのを見ると、疑ひもなく黄鶺鴒だ

    「わかりやすさ」への配慮 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/08/02
    「日本の児童書には、「わかりやすさ」に配慮した独特の慣習がある/「わかりやすさ」への配慮は、過剰なビブラートに似ている」
  • 蹉跌と韜晦――小島亮の徳永康元論 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    『ブダペストの古屋』が文庫になった。書店で見かけて好いカバーだなと思ったら、間村俊一のデザインだった。写真は著者徳永康元の撮影。解説は坪内祐三だろうと思って手に取ると違っていた。筆者は小島亮。解説タイトルに「韜晦のあり方――徳永康元を読み直すために」とある。二、三ページ立ち読みして、レジへ持っていった。原の恒文社版の単行は持っているが、この解説は腰を落ち着けてじっくり読まねばならないと思ったからだ。 書の原が刊行されたのは1982年、その年には栗慎一郎の『ブダペスト物語』『血と薔薇のフォークロア』も出て、日国内でのハンガリーへの関心のあり方を一変させた、と、小島は解説の冒頭で書いている。 余談だが、わたしが栗慎一郎の著作をわりあい熱心に読んでいたのはこの頃まで。デビュー時はポランニーの経済人類学を日に紹介した新進の学者で、ポトラッチの再評価にも与って力があったように思う(

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  • To the happy few ――『柳田泉の文学遺産』 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    村上春樹さんの新作『1Q84』が書店に文字通り山積みになっていた。発売日に上下巻あわせて六十八万部(四刷)という数字は純文学の小説としては前代未聞じゃないだろうか。純文学じゃなくても近年では記憶にない(ハリポタぐらいか)。わたしもその売上げに貢献した一人であるわけだが、ここではちょうど同じ頃ひっそりと刊行された一冊のについて書いておきたい。いずれが真に「文学的事件」と呼ぶに値するかはわたしの判断のおよぶところではない。 『柳田泉の文学遺産』第三巻。近代文学研究の泰山北斗柳田泉の業績を全三巻に収めた文藝論集だが、驚くべきはそのすべてが単行未収録の文章によって構成されていることである。余滴というには膨大な量の文章が各紙誌に発表されたまま柳田没後四十年の今日まで埋もれていたことは出版界の怠慢というべきだが、漸くここにハンディな形で輯成されたことを言祝ぐとともに、編集に当られた川村伸秀氏の労を

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  • アサミフチとは俺のことかと浅見淵 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    「槻の木」四月号に来嶋靖生さんの「浅見淵随筆集『燈火頬杖』(藤田三男編)を読む」が掲載されている。同号には渡辺守利氏の「浅見淵随筆集『燈火頬杖』のことなど」もあり、『新編 燈火頬杖』(ウェッジ文庫)の批評号となっている。 来嶋さんは、この文庫を手にして「あっと思った」。榛地和(藤田三男)によるカバーデザインに、「茜ぞめ」創刊号に通うものがあったからで、自分の勝手な印象だと断りつつ「私は何となく浅見―都筑の無言の糸、でなければ同世代早稲田の、言葉を超える気風のようなものが思われた」と述べていられる。「茜ぞめ」は、「槻の木」の前主宰者である都筑省吾や、のちに砂子屋書房を起す山崎剛平ら、早稲田大学の窪田空穂門下の学生たちが創めた短歌同人誌で、創刊は大正十年。藤田さんも早稲田出身の都筑門下であり浅見淵の教え子でもあるから、来嶋さんのいわれるようにある種のDNAのようなものが受け継がれているのかも

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  • 書痴あるいは蒐集家の情熱 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    先日、さる方より塚邦雄の『良夜爛漫』を頂戴した。わたしが塚邦雄の大のファンであると御存知で、永年架蔵されていた同書を惜しげもなく下さったのである。『良夜爛漫』は『定家百首 良夜爛漫』より巻頭の「藤原定家論」と跋文を省いた三百十部・限定版で、いずれも河出書房新社刊。『定家百首』は単行も文庫版も持っているけれど、限定版の味わいはまた格別である。麻布のクロス貼函、表紙はインド産羊皮、見返は英国製コッカレル、背に題名の金箔押、文は三色刷、天金。政田岑生装訂。別丁の和紙に毛筆で短歌一首と落款がある。 水無月の沖こそ曇れことわりも過ぎしことばの花實をつくし 編輯は日賀志康彦氏、すなわち歌人の高野公彦である。 塚邦雄には夥しい数の限定版がある。通常市販されている歌集や評論集・小説集にも凝った装訂のが多いが、さらにそれぞれに少部数の限定版がある。また、数十首を纏めた間奏歌集の殆どが限定版である

    書痴あるいは蒐集家の情熱 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/04/06
    「書物とは抑々が複製品であったはずだが」
  • 去年の雪、いまいずこ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    そうか、虫明亜呂無も「バンビ」の常連だったのか。刊行されたばかりの虫明亜呂無のエッセイ集『女の足指と電話機――回想の女優たち』を読んでそのことを知った。「秋の出会い」と題されたエッセイは次のような書き出しで始まる。 「阪神第一週を了えた翌日、僕はお初天神裏の「夕霧」に行った。日酒をのみながら、そばをたべた。すだちのかおりが、秋のゆたかな歳月を連想させた。僕はお初天神の庭に、木の葉が舞っているような風景を脳裡に描いた。それから、行きつけの喫茶店「バンビ」で、ジャズを聞いた。日酒の酔いが、強いコーヒーによって調和され、僕はかなりの時間、ジャズに耳をかたむけていた。十二音階をうまくとりいれたモダン・ジャズの魅力が僕をとらえた。その後、サウナに行った。競馬、日酒、すだちのかおるそば、ジャズ、コーヒーサウナとつづいて、僕は秋の阪神の楽しさを満喫した。」 宝塚で阪神競馬を見た翌日、虫明亜呂無は

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  • 本とつきあう法 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    * 桶谷秀昭の「含羞の文学」について以前書いたことがある(id:qfwfq:20080907)。それは中野重治全集第二十五巻の月報のために書かれた随想で、この巻には中野の映画演劇評、読書随想等が蒐められていて、中野の著作のなかでもわたしのとりわけ愛読する一書である。といっても三十巻におよぶ中野の全集を揃いで持っているわけではない。主要な小説・評論等は単行や文庫や各種の文学全集の端で持っているので、そのうえ嵩張る全集を所有する必要も、またその余裕もない。中野は、の函もカバーも捨てる、と巻に収録された『とつきあう法』の「古の始末」に書いている。むろん一冊でもよけいに所蔵するための苦肉の策だが、明治四年刊『訂正古訓古事記』は二百五十グラム、それをもとにした岩波の日古典文学大系版『古事記・祝詞』は八百グラム、ケーテ・コルヴィッツの『選集』は五百グラム、と一々重さを記述しているところが

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  • 才子多病――結城信一と廣津賢樹 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    前々回ちらと書いた『結城信一 評論・随筆集成』と『作家のいろいろ』との異同について調べてみたのでご報告しよう。 『評論・随筆集成』は『作家のいろいろ』の増補版であり、「室生さんの死」と「室生犀星への旅」、そして<あとがき>を除く『作家のいろいろ』のすべての作品が収録されている。『評論・随筆集成』に、犀星にかんする文三篇(「室生犀星序説」「室生犀星の一時期」「初版を蒐む」)があらたに追加されたため、先の二篇は削除されたのだろう。「室生犀星への旅」は、犀星の書誌を作成するための初版蒐集について記したもので、「初版を蒐む」と内容的にも重なる。 犀星にかんする三篇以外で、『評論・随筆集成』にあらたに収録された作品は以下のとおり。 一部の作家論では、岡鹿之助 美のたまもの/会津八一 『山鳩』のころ/横光利一 『旅愁』小感/浅見淵 ちとせにて、浅見さんの歌集/吉田弦二郎 吉田弦二郎と一つの世界/

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  • 上司小剣コラム集出づ! - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    週刊文春の連載コラム「文庫を狙え!」で、坪内祐三が『新編 燈火頬杖』について書いている(1月15日号)。坪内は、《「あさみふかし」の名前を知る人が何人ぐらいいるだろう――そういえばこのの「忘れられた作家たち」という一文で紹介されている藤沢清造の名を芥川賞の詮衡委員たちは皆ごぞんじなかったからな》と書いていて、ちょっと考え込んでしまった。 芥川賞の詮衡委員は、以下の面々である。池澤夏樹、石原慎太郎、小川洋子、川上弘美、黒井千次、高樹のぶ子、宮輝、村上龍、山田詠美。坪内は「皆」と書いているけれども、石原慎太郎や黒井千次も藤沢清造を知らなかったのだろうか。今東光の『東光金蘭帖』も読んだことがないのかね。今東光は『東光金蘭帖』で「藤沢清造などといっても今時の人は知らないだろう」と書いていて、藤沢清造はその頃からずっと「忘れられた作家」であり続けているわけである。もっとも夫子自身すらいまでは「

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