→紀伊國屋書店で購入 意外なことに、この二年間にポール・ヴァレリーの本が六冊出版されている。 まず、2003年12月に精神医学者の中井久夫氏訳の『若きパルク/魅惑』(みすず書房)の増補新版が出た。2004年には清水徹氏による『ムッシュー・テスト』(岩波文庫)の新訳、やはり清水氏による評伝『ヴァレリーの肖像』と、新しい世代の研究者、田上竜也氏と森本淳生氏が未発表原稿を編集・翻訳した『未完のヴァレリー』が出版された。今年2005年には東宏治氏と松田浩則氏の共編になる『ヴァレリー・セレクション』が上下二巻本で出て、「方法的制覇」や「精神の危機」、「『パンセ』の一句をめぐる変奏」が手軽に読めるようになった。 二年間でたった六冊ではないかという人がいるかもしれないが、出版事情の厳しい今、六〇年も前に亡くなった異国の詩人の本がたてつづけに出るのは、やはり異例のことと言ってよいだろう。 ヴァレリーの本が
→紀伊國屋書店で購入 精神医学者の中井久夫はエッセイの名手であり、詩の翻訳でも知られている。『現代ギリシャ詩選』と『括弧――リッツォス詩集』は名訳の誉れ高く、『カヴァフィス全詩集』は1989年度の読売文学賞を受賞している。 中井は1995年にポール・ヴァレリーの『若きパルク』と『魅惑』を一冊にまとめて刊行したが、大判の豪華本だったために、少数の読者にしか届かなかった。しかし、一昨年、『若きパルク/魅惑 改訂普及版』として増補され、もとめやすい価格で再刊された。最初の本は重くて読みにくかったが、改訂普及版は普通の大きさで、読みやすい。 本文には手をいれなかったということであるが、途中の版から『旧詩帖』に移された「セミラミスのアリア」がくわえられている。残念なことに、『若いパルク』の二つの草稿は削られたが、注釈はかなり増補されている。 『若きパルク』は20年以上、文壇から遠ざかっていたヴァレリ
→紀伊國屋書店で購入 「小島信夫を読むためのコツ」 昨年91歳で亡くなった小島信夫の最後の作品である。はっきり言ってものすごく小島信夫度が高い。濃い。「小島初体験!」という人は『うるわしき日々』とか『抱擁家族』あたりからはじめる方が安全だろう。でも、筆者の本心としてはそこで「いやいや、折角だから、小島さんの真髄を極めましょう」と頑張ってもらえるといいなとも思うので、やや押しつけがましいのを承知で、この機会に小島信夫作品を読むためのコツについて記しておきたい。 箇条書きにすると以下のようになる。 ①変なところで笑いそうになっても、我慢しないで素直に笑うこと。 ②よくわからない部分は無理してわかろうとしないこと。作者の意図をとらえよう、などとは間違っても思わないこと。 ③急に大事なことを言うので、油断しないこと。 ④歩く場面、進み行く場面では感動すること。 以下、具体的に説明してみる。 ①変な
→紀伊國屋書店で購入 『神経文字学』という文字面からSF的な印象をもつかもしれないが、脳科学の視点から文字を考えようという最先端の論集である。 編者の岩田誠氏は1983年に仮名文字と漢字では脳の処理過程が異なるという「二重回路仮説」を提唱した人で、2004年に日本神経学会の会長に就任したのを機に、長年追求してきた神経文字学のシンポジュウムを開き、その成果をまとめたのが本書ということである。 脳における文字処理過程の研究は第二次大戦後にはじまっている。当時は脳の働きを画像化して見せてくれる MRIも PETもなかったが、脳卒中のような脳血管障害の後遺症としてあらわれる失読症や失書症を研究することで、文字の処理過程が推定できたのである。 この方面では山鳥重氏が先駆的な研究をおこない、「二重回路仮説」の先駆となる発見をされているが、一般向けの本としては海保博之編『漢字を科学する』(有斐閣、一九八
→紀伊國屋書店で購入 ウィリアム・モリスはかつては非マルクス主義系社会主義者として、最近では近代デザインの創始者として著名だが、ファンタジーの祖という一面ももっている。 不思議な物語は太古の昔から語られてきたが、この世ならぬ異世界を宗教心とは無関係に作りあげ、そこで主人公が冒険するという作品はモリスをもって嚆矢とする。C.S.ルイスもトールキンもモリスの物語を愛し、影響を受けている。 モリスは学生時代から中世の文化に引かれていたが、24歳で発表した物語詩「グイネヴィアの抗弁」で一躍文名を上げ、その後、中世風の韻文物語を次々と発表して詩人としての地位を確立した。今となっては想像がつかないが、同時代におけるモリスはなによりも詩人であり、デザインや社会主義に関する活動は詩人の余技と見なされていたらしい。 モリスの活躍した時代はヴィクトリア女王の治世に重なる。産業革命の勃興期である。モリスは大量生
→紀伊國屋書店で購入 「反哲学者、ソフィスト」 ソフィストという呼び名は、軽蔑的に使われることが多い。ギリシアで誕生した頃からすでにそうだったようにもみえる。もともとは知者(ソフィステース)という褒め言葉であったはずなのに、ソクラテスとプラトンの頃からすでに、真なる知を求める哲学者(フィロソフォス)とは異なる〈ぬえ〉のような存在として非難されてきたからだ。 そのためか、ソフィストをめぐる本格的な研究書は少ない。日本でも例外的に田中美知太郎の『ソフィスト』がある程度にすぎなかった。その意味でもソフィストについての本格的な研究書である本書の登場は喜ばしいものだった。アリストファネスの喜劇にもみられるように、古代のアテナイにおいてソクラテスはそもそもソフィストとして糾弾され、ソフィストとして処刑されたのであり、フィロソフォスとソフィストの違いは、それほど自明なものではないのである。 本書ではフィ
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「20世紀のメインストリートを駈けぬけて」 自分の所属がこの四月から変わり、仙台に住み始めた。この書評空間も一区切りを迎えるとのこと、その最終回として駆け込みで投稿しようと思い立った。となると、やはりこの一冊。アーレント研究で定評のある著者が、20世紀を代表する女性哲学者の生涯に正面から取り組んでいる。 昨秋、岩波ホールで封切られたドイツ映画『ハンナ・アーレント』(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品)が、筆禍に屈しなかった哲学者の生き方を丹念に描き、地味ながらヒットしたことは記憶に新しい。その最良の解説本がこれ。アーレントの伝記としては、ヤング=ブルーエルの大著(邦訳晶文社)が今なお決定版だが、本書が、日本語で書かれた本格評伝として今後読み継がれていくことは間違いない。生い立ちから丁寧にヒロインの波瀾万丈の一生を描いて、間然するところがない。何より、著者の
→紀伊國屋ウェブストアで購入 カバーにはかわいいイラストがあしらわれ、副題は「18世紀の教育パパ、天才音楽家を育てる」となっている。思わず「楽しい娯楽本か?」と期待してしまいそうだが、内容はとても手堅い、立派な研究書である。とは言うものの、読んでいて眠くなるようなことはない。モーツァルト父子の間で交わされた数多くの手紙を軸に、モーツァルト家における「音楽をビジネスとしての捉えるための心構え」が生き生きと語られているからだ。 モーツァルトに関する書籍も数多い。先月紹介したベートーヴェンの交響曲第9番にまつわる書籍(『〈第九〉誕生』)の時と同様に国立音楽大学図書館でタイトルに「モーツァルト」を含む和書を検索してみたところ570冊、「Mozart」を含む洋書は973冊がヒットした。洋書はモーツァルト、ベートーヴェンともほぼ同数だが、和書の数ではモーツァルトがベートーヴェン(379冊)を凌駕してい
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「絶滅危惧印刷、ガリ版」 ガリ版は謄写版印刷の通称で、版式でいうと孔版(こうはん)印刷の一種だ。文字どおり、印刷用の版に孔(あな)を空け、その穴からインキを通して印刷する。 なんて書いても、実物を知らない人にはなかなかイメージできないだろうなあ。 ざっくり言うと、プリントゴッコと同じような仕組みなんだけど……プリントゴッコも最後はインクジェットになっちゃったみたいだし、通じないかな。 ガリ版って、何歳ぐらいまで通じる言葉なんだろう。 私の通っていた小学校では、文集といえばガリ版印刷だった。ヤスリの上にロウをしみ込ませた原紙を乗せ、鉄筆でガリガリと文字を書いて(穴を空けて)版を作った。ガリガリと音がするから「ガリ版」。画数の多い漢字なんかを書いてると、すぐに原紙が破れて字がぐちゃぐちゃになった。 同世代はみんなこんな経験があるはずだと思い、先週会った友人(3歳年
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「第九」とはもちろんベートーヴェンの作曲した交響曲第9番のことである。聴覚を失った最晩年のベートーヴェンが創作した大規模な交響曲だ。最終楽章で混声合唱による「歓喜の歌」が高らかに歌われるこの作品が日本における年末コンサートのプログラムとして定着し、多くの人に愛されていることは、御承知の通りである。 有名だが、決してわかりやすい作品ではない。鑑賞したときに感じる圧倒的なエネルギーはともかく、作品の細部に託されているさまざまな意図と目的を解き明かそうとする作業は、一筋縄ではいかない難行となる。しかしこうした「作品を哲学する」ような研究も、また楽しいものだ。ベートーヴェンファンならなおさらだろう。ベートーヴェンに関する諸々は研究対象としても充分な手ごたえがある上に、未だに研究しつくされたとはいえない、奥の深い世界なのだ。 ベートーヴェンに関する書籍は枚挙にいとまなく
→上巻を購入 →中巻を購入 →下巻を購入 「マンガ日本の古典」シリーズから出ているさいとう・たかをによる『太平記』である。 漫画だから吉川英治版をもとにしているのかなと思ったが、そうではなかった。オリジナルの『太平記』をかなり忠実に漫画化というか、劇画化しているのである。 怨霊話だらけの第三部を短くするとか、軍勢の数の誇張や史実との違いを注記するとかいったアレンジはほどこしてあるが、ほぼそのままなのだ。 詠嘆調の場面や、クライマックスの場面では原文が書きこんであって、禍々しい字面が迫力をいや増しに増している。意味はわからなくとも絵を見れば一目瞭然だから、古文が不得意な人は擬音の一種と思えばいい。 巻ごとに起承転結があって、ぐいぐい引きこまれる。古典の漫画化としては大和和紀の『あさきゆめみし』と双璧をなすかもしれない。 順に見ていこう。 上巻は後醍醐帝即位から鎌倉幕府滅亡までを描く。後醍醐帝
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「9・30」と聞いて、すぐにわかる人はそれほど多くないだろう。それが、「世界を震撼させた日」であると言われても、怪訝に思うだけである。本書の核心は、そこにある。これほど重要な日であるにもかかわらず、事件が起こったインドネシアでも多くが語られず、それが日本を含む世界に大きな影響を与えたことがほとんど知られていないのはなぜか。本書は、そのなぞに挑もうとしている。 9月30日に、なにが起こったのか。本書表紙見返しに、簡潔にまとめられている。「一九六五年一〇月一日未明に、ジャカルタで軍事政変が勃発、半年後の一枚のスカルノ大統領が発したとされる命令書により、権限はスハルトへと移った。中国では文化大革命が起き、東南アジアにアセアンが成立し西側反共主義陣営の結束を固め、日本は大規模な経済進出の足掛かりをつかんだ。政変を主謀したとされたインドネシア共産党は非合法化され、党員は
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「幼き日の城・武将・合戦好きから歴史の世界へ」 ミネルヴァ書房の自伝シリーズに高名な歴史家の一冊が加わった(小和田哲男『戦国史を歩いた道』ミネルヴァ書房、2014年)。著者は現在放映中のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の時代考証も担当しているが、本書を読むと、幼き頃の微笑ましいエピソードから現在に至るまで、著者がどのような道を歩んできたのか、丁寧に書かれているのがわかる。 著者は小学校の頃から「城」「武将」「合戦」に関心を持っていたが、ところが、大学に入った頃(1962年)は戦国史研究は低調で、「城」「武将」「合戦」は趣味の世界だと思われていたらしい。だが、高校時代から歴史部を創設したり古文書講座に通ったりしていた著者は、戦国史研究への夢をどうしても捨てきれなかった。早稲田大学学生歴史学研究会(中世史部会)、全国組織の歴史学研究会(日本中世史部会)などに所属し、
→紀伊國屋ウェブストアで購入 おもてなしとかクールジャパンとか、賑やかに言われている昨今だが、パン(とケーキ)もまた、世界に誇れるニホンの文化だろう。ヨーロッパ各国の伝統的なものが本場とくらべても遜色ないレベルで再現され、さまざまなオリジナル品が定番化され、日夜新作が生み出されている。ありとあらゆるパン(とケーキ)が食べられて、かつそれを売るお店が全国津々浦々にまで行き渡っている。 なにより、その歴史や製造工程、種類といった基本情報にはじまり、パンを楽しむためのことばが、イラストとともに詰まっている本書が、この国がパン大国であることをおしえてくれる。著者である「ぱんとたまねぎ」こと林舞さんは、福岡在住のイラストレーター・デザイナーで、京都に6年間滞在。 それは、進学や就職のためでなく、おいしいパン屋がおおいという理由での移住だという。その京都でのパン生活から、林さんの活動ははじまった。同じ
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「活字離れ」が心配される今どきの小学生や中高生にとって、活字を読んで文脈を理解するのはしんどい事なのだろう(もちろん大学生以上も例外ではない…)。必要に迫られない限り、文字ばかりの本を自発的に読むことは、あまり期待できそうにない。受験の課題にもなっている長文読解対策あたりが、本と出会える限られた接点なのかも知れない。 幼少の頃から「本の虫」といわれる人もいるが、私はそうではなかった。「読む(見る?)」といえば漫画。漫画だけは寸暇を惜しんで愛読した。私が幼かった時代にも漫画週刊誌はたくさん発行されており、友人間のコミュニケーションのためには押さえておくべきポイントのひとつだった。『紫電改のタカ』『おそ松くん』『鉄腕アトム』『サイボーグ009』『エイトマン』『あしたのジョー』その他の作品は、いまだに忘れることができない。 そうした漫画と並行して読んでいたはずの「活
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