ミネルヴァ書房日本評伝選(いったい何が「選」なのか不明だが)の川久保剛『福田恆存』は、初の福田の伝記である。私は若いころ、西部さんとか呉智英さんが盛んに言うので、福田を偉いと思っていたが、最近は評価が下がっている。シェイクスピアの翻訳は硬くて、あとから出た小田島訳はもとより、同時代の中野好夫、三神勲などの訳に比べてさえ、悪い意味で「新劇」である。戯曲は今ではあまり読むにも上演するにも耐えない。国語国字問題については、福田が正しいのだが、福田を称揚する人びとが新字新かなで書いていたりするのだから、あほらしい。平和問題については、今ではまともな人はみな福田に賛同するだろう。文学論については、私は評価しえない。 それにしても、伝記が出るのはいいことだ。かつて坪内祐三は、江藤淳が家系自慢をするのを批判して、神田の電気屋の息子だった福田が聞いたら何と思うか、と書いたが、恆存の父幸四郎は、ただの電気職