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ブックマーク / junkai4212.hatenadiary.org (17)

  • 岡倉由三郎と細江逸記の日本語学 - 鶏肋断想

    2017.9.16(土) 第71回現代日語研究会・講演資料 (於東京学芸大学) 岡倉由三郎と細江逸記の日語学 國學院大學兼任講師 大東文化大学非常勤講師 岡田 誠 はじめに 岡倉由三郎と細江逸記は師弟関係にあり、ともに英文学・英語学の泰斗として知られているが、日語学にも多大な影響を与え、日語学の論文等でも先行研究としてしばしば引用されている。そこで、岡倉由三郎と細江逸記の日語学について述べてみることにする。 第一部 岡倉由三郎の日語学 1.国語と英語−二つの顔の岡倉由三郎− 岡倉由三郎(1868−1936)は、「岡倉天心(1863−1913)の弟」「英語教育」「東京放送局(現在のNHK)初代英語講座講師」、「『新英和大辞典』(研究社)」「『英文学叢書』全100巻(市河三喜と共編)」として知られているが、上田万年とともに仙台で日で初めての方言調査を実施し、東京帝国大学選科修了の

    岡倉由三郎と細江逸記の日本語学 - 鶏肋断想
  • 人格陶冶と国語教育 - 鶏肋断想

    「人格陶冶」と「国語教育」 岡田 誠 はじめに 近年、日語力や国語力を扱った書籍が多く出版されている。さらには、音読と脳科学との研究も盛んに行われている。国語教育学の歴史の中でも、「垣内松三・芦田恵之助・西尾実・石井庄司・益田勝美・大村はま」などの、国語教育学では欠かすことのできない国語教育の理論家や実践家が多数いる。しかし、来的な「人格陶冶」についての視点でなされた「国語教育論」にはほとんど言及していない。そこで、稿では、来的な「人格陶冶・自己修養と国語教育」という、根的な問題を扱うこととする。 古文と漢文―思想の類似と相違― 古典(古典文)というと、古文と漢文のことを指すことになる。文法的には、漢文は古代中国語ということもあり、独特の訓点を施すことで中国語を格的に学習しなくても、古代中国語を日語に翻訳することができる。ただし、その際の翻訳は、古文に翻訳することが要求される

    人格陶冶と国語教育 - 鶏肋断想
  • 完結・「可能動詞」と「ら抜けことば」 - 鶏肋断想

    ようやく、ブログで書きながら考察してきた「可能動詞」と「ら抜けことば」についての考えが完成いたしました。国語教育・日教育に携わる方の参考になれば幸いです。以下に掲載いたします。 「可能動詞」と「ら抜けことば」の指導法 可能動詞については、来、四段・五段動詞から作られるものであるが、近年、四段・五段動詞以外でも作ってしまうことが多い。例えば、次のようなものである。 ○見る(上一段)→見れる(来は「見られる」) ○捨てる(下一段)→捨てれる(来は「捨てられる」) これらは、「ら抜けことば」や「れ足すことば」などと言われている現象である。また、文語文法の指導の際には、次のような例を一語として扱ってしまう間違いが続出するということが起きる。 ○書ける人→基形を「書ける」としてしまう。(来は「書く」+「り」の連体形) ○読めるとき→基形を「読める」としてしまう。(来は「読む」+「り

    完結・「可能動詞」と「ら抜けことば」 - 鶏肋断想
  • 名刺について - 鶏肋断想

    開運する名刺交換 やり手の営業マンは、「名刺」を有効に活用しています。ギネス認定されている世界一のセールスマン、ジョー・ジラード(15年間で1万3001台もの新車を販売)は、『私に売れないものはない』の中で、次のように述べています。 「顧客を獲得する上で大事なツールを一つだけ選べと言われたら非常に悩む。不可能に近いその選択肢をどうしてもしなければならないなら、おそらく「名刺」を選ぶ。といっても、私のは、会社が用意してくれるような、自分の名前が隅のほうに入っていたりして目立たない一般的な名刺とは違う。私の名刺は、完全に私専用だ。顔写真も入っている。もちろん、特注分のコストは自分持ちだが、惜しくはない。」 会社の名刺がよくない場合には、自己紹介カードを作ることも多いようです。最近では、主婦も自己紹介カードとして名刺をつくることが増えてきました。名刺そのものの工夫も大事ですが、それと同じくらいに

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  • 日本語教育での和歌の扱い - 鶏肋断想

    最近、日教育での和歌の扱いについて調べていました。和歌について扱っているものが少なくて、途中の段階ですが、とりあえず掲載してみます。 「日教育から見た和歌の扱い」 稿では、外国人向けの和歌について扱ったものを概観することで、その特徴を示すこととする。姫野昌子・伊藤祐郎(2006)『日語基礎B−コミュニケーションと異文化理解』放送大学教育振興会では、第一部が「外国人学習者用」、第二部が「日人教師用」となっており、各課に「日の詩歌」という箇所がある。その中で、和歌について扱っている課と、そこで取り上げられている和歌を示してみる。 ○第1課・・俵万智(1962-)の短歌 二首 「寒いね」と話かければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日 〔話かけたとき、答える人がいる人がすぐそばにいる。とてもあたたかい、幸せな気持ちになる。

    日本語教育での和歌の扱い - 鶏肋断想
  • 方法論としての古文解釈 - 鶏肋断想

    おはようございます。私の国語教育の論文に「方法論としての和歌解釈」があります。その続編を書こうと思い、途中まで書いてみました。まだ、書きかけですが、参考になれば、幸いです。 ○方法論として古文解釈 古文解釈の基礎とは何か 「古文の基礎とは何か」と問われたら、「古文解釈」がすぐに思い浮かぶ。そして、「古文解釈の基礎」としては、主に「重要語」「助詞」「助動詞」の三つを柱としているといってよいであろう。 論者は、カルチャー講座の講義の際に、この三つのことを痛感している。講座の受講生は、学生時代に学校文法の指導を受けた際、用言や助動詞の活用の暗記を課せられて、読解に生かすというレベルにまで到達できずに、文法で痛めつけられたという思い出があるケースが目立つ。逆に、文法無視で、なぜその口語訳になるのかわからずに読んできてしまったケースも多くみられる。どちらにせよ、「文法」が心の中に引っかかっているので

    方法論としての古文解釈 - 鶏肋断想
  • 『太平記』叙述の思想的立場 - 鶏肋断想

    こんにちは。 戦前はよく読まれていたのに、戦後は読む機会の少なくなった作品のひとつに、『太平記』があります。かつて、私が書いたレポートのデータが残っていたので、掲載してみます。 『太平記』叙述の思想的立場 『太平記』は、南北朝時代の軍記物語で、四〇巻である。後醍醐天皇の即位した文保二年(一三一八年)から、後村上天皇の正平二年(一三六七)までの約五〇年間の動乱を通して、治乱興亡の様相を、太平を主題として描いたものである。 『平家物語』に比べて、合戦の部分が多く、とりわけ、敗者の姿の悲惨さや、下剋上が一般的風潮になっていることを作者が嘆いており、道義を求めていることなどが、内容上の特色としてあげられる。 室町時代には物語僧が、江戸時代には浪人たちが門づけ・辻軍談として語り、これらの太平記読みによって、『太平記』は広く庶民にも親しまれることになった。 文章は、華麗な美文調の和漢混交文で、特に道行

    『太平記』叙述の思想的立場 - 鶏肋断想
  • 時枝文法とその流れ - 鶏肋断想

    こんにちは。今日は、夕方から仕事なので、今更新しています。先日、時枝誠記の話題がでたので、時枝文法について書いてみたいと思います。時枝誠記(ときえだもとき)氏は、言語過程説で有名な人物です。入子型(いれこがた)という図式で説明する手法は、日語の文構造を説明する上で大きな影響力を与えました。現代の気持ちを示す助動詞の部分を指摘したものと考えてよいでしょう。橋進吉の文節という考え方は限界があり、それに代わるものとして期待されたものでした。鈴木一彦氏のように純粋に継承しようとする人物もいますが、全体的な傾向として、言語学的なものとして取り入れられています。なぜかというと、チョムスキーと考え方が似ているからです。法政大学教授でチョムスキーの生成文法を専門としている佐川誠義(さがわまさよし)氏によると、「時枝誠記とチョムスキーは、気持ち悪いぐらいに似ている」そうです。チョムスキーの登場する五十年

    時枝文法とその流れ - 鶏肋断想
  • 中野式漢文の流れ - 鶏肋断想

    こんばんは。前回、私を開眼させた漢文ので、中野清氏のを紹介しました。今回は、その続きです。 中野清氏は、元代々木ゼミナール講師で、清の時代の小説を大学院では研究していた人物でした。現在は、大学講師・高校講師などの傍ら、漢方薬品の会社社長として活躍しているようです。この中野清氏の書いた『中野のガッツ漢文』(情況出版)というも、長文読解をしながら漢文の文法を学ばせるようによくできていました。 この中野清氏の影響は、たいへん大きく、中野清氏のをいっそう発展させるタイプのが出版されるようになりました。その中で代表的なものは、斎京宣行氏の『漢文基礎トレーニング』(駿台文庫)や飯塚敏夫氏の『飯塚漢文入門講義の実況中継』(語学春秋社)などです。中野清・飯塚敏夫・斎京宣行といった国文法と漢文法という視点は、予備校の漢文の教授法の一つの流れを作っています。中でも斎京宣行氏は篤学の士で、今後さらにこ

    中野式漢文の流れ - 鶏肋断想
  • 人名の読み方の考察 - 鶏肋断想

    こんばんは。今回は、「人名の読み方の異説」を書いてみます。人名の読み方は、いくつか割れることがあります。特に音読みか訓読みかで割れるケースが多いのが特徴的です。たとえば、思いつくままに示してみます。 「藤原定家」は、「ふじわらのていか」と「ふじわらのさだいえ」とがあります。 「藤原彰子」は、「ふじわらのしょうし」と「ふじわらのあきこ」とがあります・ 「佐久間象山」は、「さくましょうざん」と「さくまぞうざん」とがあります。 「伊藤博文」は、「いとうひろふみ」と「いとうはくぶん」とがあります。 「幸田露伴」は、「こうだろはん」と「こうだろばん」とがあります。 「横光利一」は、「よこみつりいち」と「よこみつとしかず」とがあります。 「菊池寛」は、「きくちかん」と「きくちひろし」とがあります。 「武者小路実篤」は、「むしゃのこうじさねあつ」と「むしゃこうじさねあつ」とがあります。 「開高健」は、「

    人名の読み方の考察 - 鶏肋断想
  • 読書と国語教育 - 鶏肋断想

    こんばんは。今回は、「読書と国語教育」について書いてみます。知性を磨くには、読書は欠かせませんが、その読書法として精読・濫読・速読などがあります。また、のジャンルもさまざまなものがあります。そこで、知的生産としての読書について考察してみます。 第一に、読書は何のために行うのかを考えてみます。読書は単なる知識のレベルに留めるためのものではないでしょう。孔子のいう、君子(教養人)と小人(知識人)とを分ける読書の方法があるはずです。哲学者で教育に重要な発言をした森信三氏は、読書は知識を増やすためのものではなく、体に栄養が必要なのと同様に、心の栄養になるものでなければならないと述べています。そのためには、偉人伝、人生哲学、和歌集(特に『万葉集』や島木赤彦の歌)などがよいとし、雑多な知識が統合されると述べています。この論からもわかるとおり、仕事のために知識だけを得るのも止むを得ない面もありますが、

    読書と国語教育 - 鶏肋断想
  • 『万葉集』の書名の読み方の諸説 - 鶏肋断想

    こんばんは。この3年ほど、カルチャー講座で『万葉集』を扱っています。日最古の和歌集で、約4500首あります。この『万葉集』は、「マンヨウシュウ」と今では読んでいますが、かつては「マンニョウシュウ」でした。つまり、室町時代以降の連声という読み癖で読んでいたのです。それを、戦後、佐々木信綱という学者(孫が俵万智の師である佐々木幸綱氏です)が、「マンヨウシュウ」と読むことを提唱し、教科書には「マンヨウシュウ」が採用されています。しかし、今でも比較的高齢の大学の教授は、みな「マンヨウシュウ」と読むのは素人だとして、「マンニョウシュウ」と読むことを推奨しています。『万葉集』の読み方の変遷をまとめると、次のようになります。 一、A マニエフシフ(奈良から平安初期) B マンエフシフ(奈良から平安初期) 二、マンエフシウ(平安から鎌倉) 三、A マンヨウシュウ(室町以降・現在の通行の訓み) B マンニ

    『万葉集』の書名の読み方の諸説 - 鶏肋断想
  • 漢学と国学について思うことども - 鶏肋断想

    おはようございます。今回は、漢学と国学について考えてみたいと思います。これは、私が普段から感じることだからです。漢学と国学とでは、同じ日語でも立場の違いがあるのをご存知ですか。 たとえば、漢文訓読を考えてみます。漢文を訓読した文章は、日語の古文になるようにしてあり、たいへんすぐれたものとなっています。この訓読という方法を発明した人物は、はっきりとはわかりませんが(吉備真備説もある)、訓読はたいへんすぐれていることは認めざるを得ません。しかし、完全に古文に翻訳しているわけではなく、次第に国学の意識と漢学の思想的な意識の差が乖離してくるにしたがって、漢文独特のルールといういわゆる「読み癖」などというものがでてきました。その結果、江戸時代の末頃には現在の漢文訓読に近い形が佐藤一斎などによって完成しました。思想的な違いが古文と漢文の読み方の違いに表れてくるのは、ちょうど「言語と文化」の意識の差

    漢学と国学について思うことども - 鶏肋断想
  • 文学と歴史学 - 鶏肋断想

    こんばんは。今日は、午前中に論文を仕上げてから仕事にでかけたので、くたびれました。でも、論文を書いたあとの達成感はなんともすがすがしいものですね。今回は、文学と歴史学の違いを考えてみます。 文学と歴史学との大きな違いは何でしょうか。よく、国語の教員は歴史学に詳しいといわれるものですが、少し違いがあります。どちらかというと、歴史学の方が科学的な面が強く、解釈の揺れはあまり認めない例が多いものです。それに対して文学は、ある程度解釈の自由を認める性質が強いのです。ですから、科学手な面を重視する傾向のある場合は歴史学を、ある程度の揺れや自由さを重視する傾向のある場合には歴史学を選択する傾向があるのです。 文章に接するときの姿勢としては、あまり細部の読み方にはこだわらずに史料として、内容をどんどん読んでいくのが歴史学で、細部にも目を配りながら読んでいくのが文学であるといえます。また、文学史にしても、

    文学と歴史学 - 鶏肋断想
  • 「係り結び」の思い出 - 鶏肋断想

    こんばんは。今日は、仙台からの新幹線の中で、「係り結び」の思い出を書きたい気持ちでいっぱいになりました。そこで、思い切って「係り結びの思い出」を書きます。 私が、大学生の頃、日語学の講義のときに「係助詞」の読み方は、「かかりじょし」と「けいじょし」の二つがあるのは、この用語を作った山田孝雄博士が「係助詞」に振り仮名を振らなかったためであることを知りました。「ぞ・なむ・や・か」は連体形、「こそ」は已然形で結ぶ、などと教わった方もいるのではないでしょうか。その「ぞ・なむ・や・か・こそ・は・も」という「係助詞」の読み方は、「けいじょし」なのか「かかりじょし」なのか、知りたいと思いました。とりあえず、国語教育では読み方が不明なものは音読みにしておくので、「けいじょし」で読んでいるようでした。一方、日語学などの学術用語の辞典などでは、係り結びをつくるので、「かかりじょし」と読んでいました。のその

    「係り結び」の思い出 - 鶏肋断想
  • 白川静の業績 - 鶏肋断想

    こんばんは。私が漢文と親しくなったのは、石川忠久博士の担当するNHKラジオの漢詩講座を聞いたのがきっかけでした。そのラジオ講座からは、多くのことを学びました。その講座で、白川静氏の『詩経』と『万葉集』との比較研究のことを知りました。 そして最近、書店を覗いてみると、現代を代表する漢字学の大家の「白川静〔しらかわしずか〕」氏の研究を紹介してあるがありました。 白川静氏は晩年、漢字の字源の研究で知られ、『字通』『字訓』『字統』という字書三部作を完成させました。この字書の字源解説は、従来は中国最古の漢字字典である『説文解字』をベースにしていたものを、根底から見直したもので画期的で、書家や姓名判断の人々からは支持されています。ただし、そこで用いた手法は、金石文という新たに出土した資料をもとに、民俗学的に構築したものです。そのため、批判もあります。民俗学の手法には、たえず批判がつきまとうものなので

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  • 山田孝雄と細江逸記 - 鶏肋断想

    おはようございます。今回は、日語文法と関わりのある人物として、山田孝雄(やまだよしお)と細江逸記(ほそえいつき)を紹介します。 山田孝雄は、最後の国学者といわれた人物で、現在の学校文法の副詞や助詞の考え方は、この山田孝雄の説を取り入れています。論理学的で国学的な文法理論のほか、『平家物語』の研究、俳諧の文法の研究、五十音図の研究、連歌の研究、祝詞の研究、漢文訓読語の研究など、文学、文法、歴史などの幅広いジャンルでの研究をした人物です。まさに、折口信夫(おりくちしのぶ)と双璧をなす、昭和を代表する偉大な国学者です。学歴は小学校しか出ていませんが、合格率3%前後の教員採用検定試験(現在は実施されていません)を突破し、高校の倫理と国語の教員をしながら研究に没頭し、東北大学から文学博士を授与され、東北大学の教授をつとめた人物です。天才的な頭脳の持ち主です。ご子息(山田忠雄・山田俊雄・山田英雄)は

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