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ブックマーク / www.refugee.or.jp (9)

  • 迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行

    大小140あまりの島々が連なる長崎県の五島列島。ペトロ尾上勇(おのうえいさむ)さんはその北部に位置する中通島(なかどおりじま)で生まれ育った。キリスト教徒であり、一人の漁師として生きてきた。「ペトロ」は洗礼名だ。 尾上さんは江戸時代のキリシタン禁制下でも信仰を守った「潜伏キリシタン」を先祖にもつ。江戸後期の18世紀末、多くのキリシタンたちは当時の迫害を逃れて、九州の外海(そとめ)地方(現・長崎市の北西部に位置)を離れ、たくさんの小舟で海を渡った。五島の島々に新天地を求めたのだ。 離島への大規模な移住には政治的な背景もあった。未開の土地を開拓する人手を欲しがった五島藩が、逆に人口が増えすぎて困っていた九州土の大村藩に協力を求めたと言われる。その結果、3000人もの移民が五島を目指したが、その多くが潜伏キリシタンだったのだ。 2018年に世界遺産となった潜伏キリシタン関連資産が、九州土だけ

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  • 冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行

    東京メトロの広告や人気テレビシリーズ『孤独のグルメ』にも登場するシャン民族料理の有名店「ノングインレイ(NONG INLAY)」(東京・高田馬場)。 だが、現在72歳のオーナー、ハンウォンチャイ・スティップさんが日で暮らすことになった理由までよく知る人は多くないかもしれない――。それは、冷戦下に大国間の代理戦争の現場ともなった「ラオス内戦」だった。 ベトナム戦争の影に隠れてあまり知られていないが、ラオスは「史上最も空爆された国」とも言われ、当時の米軍によって2億6000万発もの爆弾が投下されたという。ラオス内戦はベトナム戦争と同じ1975年に終結し、左派のパテート・ラオが勝利、アメリカが支援した王政側の敗北に終わった。 そんなラオス内戦にスティップさんはどう関わっていたか。実は、米軍やCIAの通訳として従事していたのだ。それは彼にとって「内戦の終結(敗北)」が自らの「命の危機」であったこ

    冷戦下の代理戦争から東京の生活戦争へ。シャン民族料理店「ノングインレイ」スティップさんの人生|ニッポン複雑紀行
  • 日本と台湾の狭間で「無国籍」を生きた少年|ニッポン複雑紀行

    世界のどの国からも国籍を認められない「無国籍」とされる人々がいる。 多くの人が強く意識せずに持っている「国籍」を、その人たちは持たない。遠い外国の話と思うかもしれないが、日にも無国籍者は少なくないと言われる。三重県で生まれ育った弘明さんも、そのうちの一人だ。 彼は日の国籍を持たず、それ以外の国籍も持たずに育った。幼い頃から乳児院に預けられ、18歳までは児童養護施設で暮らした。 日で生まれ、日で育ったにも関わらず、弘明さんはどのような経緯で無国籍になったのか。日の制度の中で、なぜ彼の無国籍は放置されてきたのか。弘明さんはこれまで、どんな人生を過ごし、何を感じてきたのか。 弘明さん、最も近くで彼を支えた児童養護施設の方々、そして彼の国籍取得に奔走した弁護士から、話を聞くことができた。 弘明さん。22歳。 なぜ無国籍になってしまったのか ――弘明さんが無国籍になった経緯から教えていただ

    日本と台湾の狭間で「無国籍」を生きた少年|ニッポン複雑紀行
  • 米兵と出会った祖母のこと。大阪、横須賀、語られなかった強さと生き様の歴史|ニッポン複雑紀行

    戦後の大阪には1955年まで米軍の駐屯地(現・大阪市立大学)があった。黒島トーマス友基さんは、そんな「キャンプ・サカイ」に第65エンジニア部隊の一員としてやってきた占領軍の米兵を祖父にもつ。 実は私も祖父が沖縄の米軍属で、これまでトーマスさんとは色々なことを語り合ってきた。二人の共通点は、祖父が米軍と関係しているという事実にだけでなく、「アメラジアン」としてのアイデンティティをもって暮らしていることにもあるかもしれない。 これまで、アメラジアンにまつわる一人ひとりの歴史が積極的に語られることは決して多くはなかった。例えば、芸能界などにも有名な方はいるが、自分の家族のことを積極的に語る人たちは少なかったように思う。 トーマスさんはそのことを少し残念に思っているようだった。自分のおじいさん、おばあさん、そして二人の間に生まれたお父さんのことについて、語るべきこと、語り継ぐべきことがたくさんある

    米兵と出会った祖母のこと。大阪、横須賀、語られなかった強さと生き様の歴史|ニッポン複雑紀行
  • あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行

    「アメラジアン」という言葉を知っているだろうか?アジア各地に展開する米軍基地の軍人・軍属と現地の女性との間に生まれた子どもやその子孫がそう呼ばれることがある。アメリカとアジアでアメラジアン。日だけでなく、韓国やフィリピン、ベトナムなど米軍が展開する地域に数多く存在する。 かく言う私もアメラジアンの一人である。私の母は沖縄の祖母と米軍の祖父との間に生まれた。私は「クオーター」で、「アメラジアン」で、私が名乗り始めた「ローレンス」という名は、私が一度も会ったことのないアメリカ人の祖父の名である。 私は長い間、自分と似た出自を持つ他者と出会ったことがなかった。アメラジアンという言葉を使う使わないに関わらず、このような出自の子孫が日にも少なくないはずだが、そのことをあえて言わない人や自分自身が気づいていない人も多い。そんな中、私が25歳の夏、初めて出会った人が黒島トーマス友基さんだった。 トー

    あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行
  • 少数者の隠れた声に寄り添う。“多数者のぬるま湯”に抗い続けた男が「移民の支援センター」をつくった理由|ニッポン複雑紀行

    神戸にあるもう一つの「KFC」 神戸市の長田区に「KFC」という名のNPOがある。KFCと言ってもあの有名なチェーン店ではない。1997年に設立された「神戸定住外国人支援センター(Kobe Foreigners friendship Center)」の略称である。 神戸市には在日コリアン、ベトナム難民、中国残留邦人帰国者など様々なルーツを持った人々が暮らしている。95年の阪神・淡路大震災後の支援活動を源流にもつKFCでは、神戸の定住外国人コミュニティのために高齢者支援、日語学習支援、子ども支援など様々な支援事業を展開してきた。 KFCが運営するデイサービスセンター「ハナの会」 人手不足の世相を反映して若年の外国人労働者に社会の注目が集まる中で、KFCでは在日コリアンやベトナム難民など「移民や海外にルーツを持つ高齢者たち」の支援を行っていると知り、強い関心を持った。さらに、KFCでは利用者

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  • 宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話 大塚にある細長いモスク JR大塚駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けたところにその小さなモスクはある。「マスジド大塚」だ。「マスジド」とはアラビア語でモスクを意味する言葉。モスクはムスリム(イスラーム教徒)のための礼拝所である。このマスジド大塚が創立されたのは2000年のことだ。 私が初めてこの場所を訪れたのは4年前のこと。持ち金が尽き、泊まる場所がなくなったナイジェリア出身の難民申請者がモスクでお世話になっていたときのことだった。その日は外国から来た難民だけでなく、日人のホームレスの方たちもモスクで寝泊まりしていた。 マスジド大塚。小さなドームとミナレット(尖塔)が目印 モスクというとトルコの「ブルーモスク」のような豪華絢爛なイメージもあるが、マスジド大塚は質素なつくりをしている。横

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  • 駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行

    新大久保は「韓流だけじゃない」 韓流の街というイメージが強い新大久保。しかし、駅から一歩出ればもっと「複雑」であることに気づく。行き交う人たちの出身国は2〜3ヶ国では済まなさそうだ。 街頭の看板も日語、韓国語、英語に加えて、ネパール語やベンガル語らしきものが並んでいる。色やデザインも独特だ。 驚いたのは、駅構内の多言語アナウンス。なんと24ヶ国語で、「事故防止のために、階段や通路は右側を歩いてください。階段は止まらずに進んでください」と流れている。駅構内の様子を実際に音声付きの動画で撮影してきたので一度聞いてみてほしい。 【動画】新大久保駅のアナウンス(クリックして再生) この多言語アナウンスは2015年に始まったという。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを導入した当時の駅長、阿部久志さんに、取り組みのきっかけや狙いについて話を聞いてみた。 阿部久志さん。JR新大久保駅の前駅長(2012-2

    駅に来たら、母語が聞こえる。前代未聞の24ヶ国語アナウンスを始めた駅長が実現したかったこと|ニッポン複雑紀行
  • シリア難民はいま-日本にも逃れてきている?

    シリアで紛争が始まって6年。いまだ解決の見通しは立っていません。激しい戦闘下にある場所はシリア全域に広がり、国を追われた人はついに500万人を越えました(※1)。トルコ、レバノンなどの周辺国には、難民が押し寄せています。また、逃れる手段がなく、危険な国内に留まっている方も多くいます。 出身国別で世界最多となったシリア難民をいかに支援するか、国際社会の協力が問われています。今回の特集では、各国のシリア難民への対応状況をお伝えします。 1. 人口の半数以上が避難民に。国外に逃れた人たちの行方は?中東やアフリカからヨーロッパを目指すボートが地中海で転覆・遭難する事故が相次ぎ、2016年だけで死者数は5,000人(※2)に上りました。そのなかにはシリア難民も数多く含まれています。「欧州の難民問題」と報じられることも多いシリア難民ですが、どこにどれくらい逃れているのでしょうか。 ・オレンジ色:201

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